生まれながらにして既に失われてしまった生を生きる男の物語〜映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (監督:デヴィッド・フィンチャー 2008年アメリカ映画)


劇場公開時はデヴィッド・フィンチャー監督という事で興味はあったものの、167分という尺の長さに尻込みしたのと、予告編を見た限りでは「老人に生まれて齢を経るごとに子供に返ってゆく」だけの話にしか思えずスルー。で、今回DVDが出たので観てみたのだが、これが実に丁寧に作られた名作映画だった。確かに物語は老人から子供へと成長が逆転して進行する男の奇妙な人生の物語なのだが、かといってこの物語はファンタジーでもSFでもない。ではなんの物語なのか?というと原作が『グレート・ギャツビー』で知られるF・スコット・フィッツジェラルドのものである、ということに注目すれば分かるだろう。
"失われた世代"と評されるフィッツジェラルド小説が持つ喪失感や虚無感は、多くの犠牲が払われた第一次世界大戦の惨禍を経験した若者たちとその親たちの世代との世代間ギャップが生み出したものだった。そしてこの『ベンジャミン・バトン』でも、そもそものきっかけは第一次世界大戦で失われた若者達の命が取り戻せるように、と逆回転時計を作り出した男のエピソードから始まるのだ。即ちこの物語は、"時間を逆行して若返ってゆく”というシチュエーションの奇妙さをテーマにしているのではなく、若返りの生という人とは違う生を生きてしまったばかりに"生まれながらにして既に失われてしまった生を生きざるを得ない男"の孤独や虚無を描き、そこに"失われた世代"というものを重ね合わせようとした物語だったのだと思う。
そして完成した映画は非常にしっとりとした情感と抑制の効いた演出、丹念に作られた映像と丁寧な語り口が醸しだす一級の文芸映画として仕上がっている。奇妙に浮世離れしたボヘミアな生活を続けるベンジャミン・バトンのその生は、どのようにしてもこの世界からも現実からも乖離してしまう孤独な男の悲哀に満ちていた。まさにこの生の有りようこそが"失われた世代"そのものである、とは言えないだろうか。フィッツジェラルドといえば村上春樹の名を思い浮かべる方もいらっしゃるかと思うが、村上小説ファンの方にもお薦めしたい映画だ。
またフィンチャーは前作『ゾディアック』でもCG技術を駆使して60年代のサンフランシスコの街並みを鬼気迫る緻密さで再現していたが、この『ベンジャミン・バトン』でも実に事細かに20世紀初頭〜21世紀に到るアメリカの風景を作りこんでいて、当時の空気感をリアルに再現することに成功している。完璧主義者フィンチャーの鬼のような力技がここでも冴え渡っているといえるだろう。助演を演じるティルダ・スウィントンの端正な色香、はにかんだようなブラッド・ピットの表情、そしてなによりケイト・ブランシェットが神々しいまでに美しい。傑作です。

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 特別版(2枚組) [DVD]

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