地を這う魚 ひでおの青春日記 / 吾妻 ひでお

吾妻ひでおが漫画家を志しアシスタントとして過ごした日々を描いた漫画である。こうして書くと単なる自伝漫画のように思えるが、実はそんな生易しいものではない。
作品内世界では吾妻ひでお以外の人間は殆ど異形の姿をまとった存在であり、まともな姿で描かれる人間は背景に点在する幾人かと、そして女性だけである。男は殆ど化け物なのに女性は全て人の形として描かれているのだ。しかし邪推するに当時の吾妻にとって女というのはそれ自体妄想の産物のようなものでしかなかったのではないか。だからこれは、ある意味ただ萌えるためにのみ存在し人格の無いフォルムとして存在する"女性"性といった意味で、ひとつの異形の存在なのかもしれない。
人だけではない。吾妻が仕事してメシ食って友人たちとクダを巻いている日常世界のありとあらゆる場所に、吾妻漫画お得意のグネグネドロドロした軟体動物や海棲生物や異次元別世界の生物やロボットや巨大メカが闊歩し空中を漂い壁という壁にへばり付いているのだ。その情景は既にして異世界、ここではない遠い宇宙のどこかなのである。これら異形の生き物たちと不可思議な世界は、吾妻の丸っこいペンタッチで描かれているから可愛らしく見えないこともないのだが、異様である事には変わりない。
他者も、世界も、全てが異化されていて、にも拘らず、社会の仕組みはどこまでもベタに現実的で、その中で当たり前のように営まれる日常生活。そしてこの異様な情景を、"青春日記"であるとして漫画作品で提示することの凄み。吾妻ワールドの濃縮された作品であり、"自伝漫画"という括りに囚われない、恐ろしくイマジネイティブな作品であるという事が出来る。かつてSFマガジン誌の連載や奇想天外社から上梓された諸作品、特に代表作『海から来た機械』に狂喜したファンとしては「あの吾妻が帰ってきた!」と叫ばざるをえない傑作である。
それにしてもこのグロテスクであると同時にどこか涅槃の光景とさえ思えるような超現実的な世界の描写はなんなのだろう。全てのものが異化された世界、というのは逆に自己疎外の状態にある人間の心象風景ととることも出来る。精神疾患を患った事のある吾妻にとって世界とはこのように異形であり異質なもので満ち溢れているのか。さらに作者吾妻の妄想がどこまでも流出しこの世界全てを吾妻的自我で塗り潰し侵食した幻想の現実世界と呼ぶことも出来る。あの異形たちは、まさに吾妻が幻視した世界の一部だったのだろう。
どちらにしろそれらを"絵"として表出させ、さらに陰鬱さではなく剽窃として表現することの出来る吾妻の異才ぶりはまさにオンリーワンと言っていいだろう。しかも、これでさえも吾妻は軽やかな筆致で描くのだ。この漫画では、アシスタント期の吾妻は理屈や理論ではなくどこまでも皮膚感覚で漫画を愛し、世界を生きていたように思える。だからこそ社会から逸脱する部分もあっただろうが、創作者としての成功と成果は、この言葉に頼らない皮膚感覚にあったように思えた。