ゴーレム100 / アルフレッド・ベスター asin:4336047375


22世紀の未来、膿胞のように肥大した巨大都市ガフで猟奇的な連続殺人事件が起きる。その犯人は上流カーストの女性達が手慰みで行った悪魔召喚で目覚めさせられた怪物ゴーレム100。事件に巻き込まれた香水科学者シマ、精神工学者ナンは警察官インドゥニと共にゴーレム100の正体を追うが、そこには潜在意識と集合的無意識との無辺の精神宇宙が待ち構えていた…。

ストーリーを語ることは殆ど意味が無いかもしれない。この物語の面白さはその語り口にあるからだ。プロットからはP・K・ディックの悪夢的な未来世界SFを連想させられるが、ベスターにはディックのルサンチマンは微塵も無い。むしろ自由な連想と奔放な言語遊戯から紡ぎ出されるスラップスティックな作品世界と、変幻自在な物語構成が楽しい作品だという事ができるだろう。その柔らかく生物のように脈打つ文章からはフランスの幻想文学作家ボリス・ヴィアンを連想した。ある意味この作品はストレートなSF作品として読むよりも未来を舞台にした幻想文学であり、内宇宙を描いた現代文学として読むほうが読者にとって受け入れやすいのではないか。また、本文にはナボコフやバージェスの如き造語が犇き、クライマックスではウィリアム・バロウズもかくやと思わせる錯乱し崩壊した言語感覚の文章が乱れ飛び、終盤ではジェイムス・ジョイスばりの融合し混沌となった言語世界が表出し、そういった言葉遊びと現代文学史へのオマージュに楽しみを覚える読者にもお薦めできるかもしれない。ただしかな〜り読者を選ぶ作品でもあるので要注意!

物語の中心となるのはエキセントリックな登場人物たちとそのリズミカルな会話、ゴミ箱と玩具箱を同時にひっくり返したような稚気と汚濁がゴタ混ぜになった未来世界とそのガジェット、そして分かりやすいぐらい胡散臭い精神分析論とそこから生み出されたサイケデリックなイメージの奔流だ。高尚でありながら卑俗であり、知的でありながら痴的であり、そしてゴミのようでいて黄金のような物語である。なにしろ読んでいて楽しい。本文では活字に混じってイラストとタイポグラフィが踊り、それが決して添え物ではなくベスター世界を形作るひとつの構成要素として生き生きと蠢く。だが馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しくもあるのだ。このどちらに転ぶか分からないバランスと振幅がベスターの持ち味か。そしてベスター自身は「どっちに転んでも面白ければいい」と思っているのかもしれない。物語そのものが遊びなのだから。アメーバのように刻々と形を変え何処に行くのかさえわからない不確定性に満ちた物語は、逆に言えば一つの物語としてお定まりの良い鋳型の中に収まることを拒絶しているからなのだろう。それはひとえに作者ベスターが想像力の自由さを尊重していたからであるまいか。

アルフレッド・ベスターといえばSFファンの必須科目、『虎よ!虎よ!』の作者であるが、彼は生涯5作の長編しか書かなかった寡作家でも知られており、この『ゴーレム100』は1980年に出版されたその第4長編である。偉そうな事を言いつつオレ自身も『虎よ!虎よ!』しか読んだ事のないナマクラ読者であるが、確かに『虎よ!虎よ!』は異様なまでの熱気に満ちた、実に実にこってりした作品だったという事は記憶している。実際に読んだのは20年以上前になるのだが…。しかし本作では『虎よ!虎よ!』で抱いていたイメージが良い意味で裏切られ、ベスターという作家の底力を思い知らされたとても良質の読書体験だった。また今作の翻訳はとりわけ評判が高い。翻訳者の良否を述べるほど翻訳作業というものを知っているわけではないが、翻訳あとがきでも歯切れのいい言葉使いをする翻訳者渡辺佐智江氏の訳文は確かによくこなれ、勢いがあって楽しい。他の訳書も読みたくなった。