- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: 毎日新聞社
- 発売日: 2006/04/30
- メディア: 単行本
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言ってしまえば子育て漫画なのであるが、そんじょそこらの可愛らしい物語を期待していると血を見ることになる。もう子供がひたすら五月蝿い汚い馬鹿なのである。手に負えないケダモノなのである。一応親として人として西原は指導めいたことはするのだが、親も馬鹿だから子供も馬鹿でもしょうがねえよなあ、と諦観ぎみ。
ただこれは放任してるのではなく、子供が持っている”馬鹿”としか思えないようなパワーに、西原は人間としての根源的な力を垣間見、その”生”そのものを丸齧りし謳歌できる愉悦をただただ眩しく見つめているのだ。そしてこれが西原の”愛”の形なのだ。立ち木の枝を間引き人間社会に通用するような、綺麗で収まりのいい所詮つまらない”丸太”であるような人間へと”教育”することを、西原ははなから放棄してしているのだ。これが正しいとかどうとかオレは知らない。ただ、子供は必然的に親の人間観社会観から育てられるものだろうし、親それ自体の影の無い一般論的な中庸や公正ばかりで育てられると逆に子供はその裡に曖昧さだけを抱えた大人になることだって有り得るだろうと思う。
だからこのマンガは子育ての手引きでも苦労話でもない。そういうマニュアルになるべき指標や哲学を語ったものではない。ただ西原は、子供たちに、生きているということは本当に楽しく、生きているということはただそれだけで善き事であり、そんなあなたたちと暮らせることが、どれほど幸福であるのかを教えるのだ。そしてこれは、愛するということは何か、を子供に教える行為なのだと思うのだ。
西原理恵子のマンガには「ぼくんち」に見られるような貧困と家族の繋がりを描いたものがあるが、決して露悪的な貧乏自慢をしているわけではない。そういった所謂プロレタリア文学の文脈で読まれるものではなく、もっと根源的な人の生死、生存への欲望、生きているということの不思議を扱ったものだと思ったほうがいいと思う。これは単行本「営業ものがたり」の中の掌編「うつくしい のはら」を読むと顕著である。どことも知れぬ東南アジアの小国、貧しい少女と草原に横たわる兵士の死体との対話は、けれん味に堕する一歩手前で生と死の不条理を描き、胸に迫る一篇として結実する。
ラストの書き下ろし、「父の名前」ではそんな西原が自分の生まれる前に離婚し名前さえ知らないまま故人となった父親の、廃屋となった実家へと訪れる話だ。最後に、顔も知らなかった父親に、西原は「ありがとね。」と告げる。何故なら、生きていることは、善き事だから。生まれたことは、それ自体が”贈り物”なのだから。
- 作者: 西原理恵子
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- 作者: 西原理恵子
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