サンドマン(5)/ドリームカントリー

4つの短編が収められているが、これが、素晴らしい。
■カリオペ
この短編集の始まるを飾るダークな一編。現代という時代に『誘惑された神』が存在し囚われている、というシュールさが面白い。
”神々は死すものであるが、「終わりなき者」はそれを超えた存在である」”というのは、神々はそれを宿すものとそれを信じる人間が必要であり、だからこそ失われていくものであるが、「終わりなき者」は生きる者が存在する限り存在する、という考え方なんだろうな。
■千匹の猫の夢
”夢”を共有するものたちを求めて巡礼する猫の物語。集合的無意識の世界。
いつかも書いたけれども、ジョン・レノンの奥さんであるオノ・ヨーコはかつて『一人で見る夢はただの夢だけれど、二人で見る夢はリアリティ』と言った。夢見続け、そしてそれを共有することが現実を変える力になるのだという暗喩を込めた一編なのだと思う。
真夏の夜の夢
こ、これは傑作です。シェイクスピアがある人物(サンドマンなんだが)に頼まれて書き上げた戯曲、それは『真夏の夜の夢』だった。その初演を見に来た客たちとは。
”彼等”がこの現実世界に『侵入』してきた瞬間から、この物語は目くるめくような幻視に満ちた世界へと変貌します。こういうのをメタフィクションと云うのだろうか。『真夏の夜の夢』を演じる人間たちを眺める、この戯曲のモチーフともなった”もの”たち。現実と非現実が重なり交じり合い、人と人に在らざるものの関係が語られていく。そしてもう”彼ら”がこの世界に多く居られないということも。何かLOTRの”灰色港から世界の彼岸へと消え去ってゆく魔法種族たち”の事を思い出してしまった。こうして、この現実世界からは”マジック”が失われていくのだということなのだろうなあ。
世界幻想文学賞受賞。
ファサード
”どんなものにもなれるけれど、『自分』にだけはなれない”。この皮肉。

見る夢は2種類しかない。嫌な夢とひどい夢。嫌な夢は耐えられる…いつかは終わる。ひどい夢とはいい夢だ。ひどい夢では全てがうまくいっている…そして目を覚ます。自分は自分のままだ。それがひどい。

孤独についての物語であるが、描かれる眼差しは慈しみに満ちている。
「デス」が現れた場面で、オレは読んでいた電車で不覚にも涙してしまった。どうも”孤独”というキーワードに弱いらしい。ただ孤独と云うのは、絶望が愚か者の結論であるように、怠け者の病であるというのも、知っているつもりだ。