13世紀ボヘミア王国を舞台にした野合と離反の物語『マルケータ・ラザロヴァー』

マルケータ・ラザロヴァー (監督:フランチシェク・ブラーチル 1966年チェコスロバキア映画)

いつもはハリウッド暴力映画や韓国残虐映画などを愉快に楽しく「ゲシシ」と笑いながら観ているオレではあるが、本当に極稀に激渋なヨーロッパ文芸映画なんぞを観たくなることがあったりするので本人的にはちょっと困っている。何故なのかは分からない。何か食い合わせの悪いもので食ったせいなのかもしれない。そして観ることは観るのだが大抵は頭に「???」を一杯つけた宇宙ネコ状態になってしまい、「今のは何だったんだろう……」と布団の中で悶々として眠れなくなってしまうのだから悲しいものである。

で、そのいつもの病気が出て今回観てしまったのが1966年製作のチェコスロバキア映画『マルケータ・ラザロヴァ―』である。モノクロ映画である。なんでも「チェコ・ヌーベルバーグの巨匠フランチシェク・ブラーチルが、ブラジスラフ・バンチュラの同名小説を映画化」したものであり、「タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」や黒澤明の「七人の侍」などと並び評され、チェコ映画批評家とジャーナリストを対象にした1998年の世論調査で史上最高の映画に選出された」などという評判なのらしい。そしてその物語というのは、13世紀のボヘミア王国を舞台にした、宗教と部族抗争に翻弄される少女マルケータを描いたものなのだという。

【物語】舞台は13世紀半ば、動乱のボヘミア王国。ロハーチェックの領主コズリークは、勇猛な騎士であると同時に残虐な盗賊でもあった。ある凍てつく冬の日、コズリークの息子ミコラーシュとアダムは遠征中の伯爵一行を襲撃し、伯爵の息子クリスティアンを捕虜として捕らえる。王は捕虜奪還とロハーチェック討伐を試み、元商人のピヴォを指揮官とする精鋭部隊を送る。 一方オボジシュテェの領主ラザルは、時にコズリーク一門の獲物を横取りしながらも豊かに暮らしていた。彼にはマルケータという、将来修道女になることを約束されている娘がいた。 ミコラーシュは王に対抗すべく同盟を組むことをラザルに持ちかけるが、ラザルはそれを拒否し王に協力する。ラザル一門に袋叩きにされたミコラーシュは、報復のため娘のマルケータを誘拐し、陵辱する。部族間の争いに巻き込まれ、過酷な状況下におかれたマルケータは次第にミコラーシュを愛し始めるが…

映画『マルケータ・ラザロヴァー』公式サイト - 7月2日公開

ええっと公式サイトから長々とした引用文をコピペしましたけど全部読んで理解できましたか皆さん。もうちょっと分かり易く説明すると、

・13世紀のボヘミア王国(今のチェコ共和国)の「領主だけど盗賊もやってるコズリーク家」の息子二人がザクセン公国(今のドイツ)の貴族を襲ってその息子クリスティアンを誘拐しちゃう。

・怒った王様コズリーク家討伐の部隊を送ってきたので、コズリーク家はご近所の領主オボジシュテェ家に同盟を組もうと持ち掛けるが王党派のオボジシュテェ家はこれを拒む。

・逆恨みしたコズリーク家は今度はオボジシュテェ家を襲ってそこの娘マルケーをさらい、マルケーコズリーク家の息子ミコラーシュによって凌辱される。

・一方、コズリーク家の娘アレクサンドラは誘拐したクリスティアンに惚れてしまう。

・で、の討伐隊は遂にコズリーク家を追い詰め戦いが始まるのだが、なんだか知らないけど愛し合うようになっちゃったマルケーミコラーシュアレクサンドラクリスティアンの運命やいかに?

……というのがだいたいの物語なんだが、いや引用文とたいして長さが変わんないじゃないかよ!?

見所となるのは13世紀ボヘミア王国を再現した衣装や武器などの小道具、城や住居、そこで暮らす人々の生活ぶりの非常にリアルな再現度だろう。とはいえ実は13世紀ボヘミア王国の詳しい資料があまり残っていないらしく、「再現」というよりも「考察されたもの」なのらしいのだが、それでも古臭く汚らしい雰囲気は十分に伝わってきており、同時に舞台となる極寒の山奥の寒々しさと困窮振りもまた真に迫っていた。その中で人は簡単に死ぬし殺すし殺されるし下劣だし非道だし「神がー神がー」と言ってる割には無情で非情で「That's中世!」なイヤさが全振りとなっている部分が、まあ、醍醐味ではあった。

で、結局なんの物語なの?というなら、これは神を巡る野合と離反の物語ということができるだろう。まず、王家オボジシュテェ家キリスト教徒で、一方コズリーク家は異教徒ということになっている。その中で、オボジシュテェ家のマルケータとコズリーク家のミコラーシュは強奪の果ての愛という形の野合を成し、一方、王家のクリスティアンコズリーク家のアレクサンドラも捕虜と強奪者との愛という形の野合を成している。つまり物語内で成立する二つのカップルがキリスト教徒と異教徒とのカップルによる野合、という形なのだ。それは即ちそれぞれの宗教からの離反であり逸脱である。

しかし物語がこれで幸福に収まるわけもなく、最終的に二つのカップルは男性側の死によって別離を迎えるが、同時に生き残った二人の女はそれぞれに子を宿している。その子らは二つの宗教の野合と離反による「落とし胤」という事になる。それと併せ、最初修道女になるはずだったマルケーは、戦いの最中修道院に救いを求めようとするが、その教義の在り方に納得できず、結局そこから(つまりキリスト教的なるものから)離反するのである。作中、放浪僧ベルナルドなる乞食坊主が登場するが、これがまた何の役にも立たない男で、キリスト教への失望の象徴みたいに見える。とはいえ物語はキリスト教否定が主軸なのではなく、「神の名が唱えられながらも神なき地であるという矛盾、そういった世界であった中世の混沌」をテーマにしているのではないのかなあ、などとまあ、想像したりしたわけであった。