英雄譚の「祖型」を成す優れたダークファンタジー映画『グリーン・ナイト』

グリーン・ナイト (監督:デビッド・ロウリー 2021年アメリカ・カナダ・アイルランド映画

映画『グリーン・ナイト』はJ・R・R・トールキンが現代英語訳したことでも知られる14世紀の叙事詩『サー・ガウェインと緑の騎士』を原作としたダークファンタジー作品です。そしてこの「サー・ガウェイン」とはアーサー王伝説で知られる円卓の騎士の一人なんですね。いわばアーサー王伝説のサブ・ストーリーとなるのがこの物語なんです。物語はサー・ガウェインに課せられた恐るべき試練の行方を描くことになります。主演は『スラムドッグ$ミリオネア』のデブ・パテル、『リリーの全て』のアリシア・ビカンダー、『華麗なるギャツビー』のジョエル・エドガートン。監督・脚本は『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』のデビッド・ロウリー。

【物語】アーサー王の甥であるサー・ガウェインは、正式な騎士になれぬまま怠惰な毎日を送っていた。クリスマスの日、円卓の騎士が集う王の宴に異様な風貌をした緑の騎士が現れ、恐ろしい首切りゲームを持ちかける。挑発に乗ったガウェインは緑の騎士の首を斬り落とすが、騎士は転がった首を自身の手で拾い上げ、ガウェインに1年後の再会を言い渡して去っていく。ガウェインはその約束を果たすべく、未知なる世界へと旅に出る。

グリーン・ナイト : 作品情報 - 映画.com

サー・ガウェインは”緑の騎士”から「我に一太刀浴びせた者に強力な戦斧を授ける。ただし1年後その者は我より同じ一太刀を浴びせられる」というゲームを持ち掛けられ、勇気を示すためその挑戦に応じて”緑の騎士”の首を切り落とします。しかしそれは1年後に自分も”緑の騎士”から自らの首を切り落とされるという事に他ありません。そして1年後、サー・ガウェインは”緑の騎士”が指定した聖堂を探しに旅に出るのですが、その道中様々な怪異や不可思議な出来事、追いはぎや亡霊、超自然の存在と出会うことになるのです。

サー・ガウェインが旅しその目の前に映し出される光景は寒々とした荒野と鬱蒼と茂る原生林、人が足を踏み入れる事を拒む原初の自然です。それらはよく知った自然のように見えながら既にして「異界」なのです。それは過酷であり恐怖に満ち、妖しくもまた美しく、観ていて心をかき乱されるような風景です。物語の舞台となるのであろう中世には、これら自然の風景は命すら奪いかねない危険に満ちた恐怖の対象であったでしょう。こういった畏敬すら覚えさせる自然の風景が次々と映し出されるのもまたこの作品の大きな魅力の一つです。

このサー・ガウェインの冒険の旅は試練の旅であり通過儀礼の旅でもあります。こういった物語構造は神話学者ジョーゼフ・キャンベルの著書『千の顔を持つ英雄』において「神話の元型である」と述べられています。英雄はごく日常の世界から自然を超越した不思議の領域に旅し、途方もない存在と出会い決定的な勝利を手にし、仲間に恵みをもたらす力を得て帰還するのです。これは古くはギルガメシュオデュッセウスの冒険、近年では映画『スターウォーズ』や『マッドマックス』シリーズにおいても繰り返し再話される「英雄による冒険譚」の【祖型】となるものなのです。

サー・ガウェインのその旅は「栄光を得るための旅」ではありません。それは”緑の騎士”に自らの命を差し出すための旅なのです。いわば「喪失のための旅」であり、「己の生死を超克するための旅」とも言えるのです。これはあの『指輪物語』も同様の構造を持ちます。主人公フロドは「栄光を得るための旅」に出るのではなく強大な力を持つ指輪を捨てるための旅、即ち「喪失のための旅」に出ることになります。その命と等価ともいえる「喪失」と引き換えに、旅人は「英雄」となります。「喪失」とは即ち強力なイニシエーションなんです。

映画『グリーン・ナイト』はこうした古代から繰り返し再話されてきた【英雄譚】の構造を持った物語です。こういった構造を成す物語がなぜ人の心を突き動かし連綿と語られ続けているのかは、例えばユングが「集合的無意識」といった術語を使用して説明していますが、実際のところはよく分かりません。それは「神」や「宗教」が生み出される人間心理、「人間の生の本質」と関わっている事なのかもしれません。ただ、これが強固で強大な物語の形であることは間違いなく、それは時代を超越したものである、ということだけは確かです。すなわち映画『グリーン・ナイト』は時流や時世を飛び越えた圧倒的なまでのド直球なダークファンタジーであり、このジャンルの新たなマイルストーンとして語られるべき強力な作品だと言えるのではないでしょうか。