ピーター・ディンクレイジ主演による愛すべき古典戯曲映画化作品『シラノ』

シラノ (監督:ジョー・ライト 2021年アメリカ・イギリス映画)

古典戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』映画化作品

「剣豪で文豪だけどデカ過ぎる鼻がコンプレックスで恋を打ち明けられない!」……こんな難儀な騎士を主人公にしたエドモンド・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』。1967年に上演されたこの戯曲は多くの人に愛され、現代でも数々の映画化作品が存在します。その『シラノ・ド・ベルジュラック』を『プライドと偏見』(05)のジョー・ライト監督がミュージカル作品として映画化したのがこの『シラノ』となります。

そしてこの『シラノ』、『ゲーム・オブ・スローンズ』でティリオン・ラニスターを名演したピーター・ディンクレイジが主演してるんですね。いやオレ、ピーター・ディンクレイジ大好きなんだよなあ(でも劇場では観損なっちゃいました、すいません)。そんな感じでわくわくしながら観始めたんですが、最初はラブコメ作品だと思っていたらビックリ、なんと胸張り裂けそうなほどに悲痛で残酷な愛の物語だったんですよ……。

シラノ役のディンクレイジの他に、ヒロイン・ロクサーヌ役を『マグニフィセント・セブン』のヘイリー・ベネット、シラノの恋敵・クリスチャン役を『ルース・エドガー』のケルビン・ハリソン・Jr.が演じます。

《物語》17世紀のフランス。剣の腕前だけでなく、すぐれた詩を書く才能を持つフランス軍きっての騎士シラノは、自身の外見に自信が持てず、思いを寄せるロクサーヌにその気持ちを告げることができずにいた。そんな彼の思いを知らないロクサーヌは、シラノと同じ隊のクリスチャンに惹かれ、シラノは2人の恋の仲立ちをすることに。愛する人の願いをかなえるため、シラノはクリスチャンに代わって、自身の思いを込めたラブレターをロクサーヌに書くことになるのだが……。

シラノ : 作品情報 - 映画.com

恋敵のラブレターを代筆!?

この物語の中心となるテーマは、文武両道の才覚に溢れ、豪気で男だてのいい主人公が、容姿にコンプレックスを持つばかりに愛に対しては物怖じしてしまう、そのアンビバレントの様を描く部分にあります。主人公シラノは淑女ロクサーヌに恋していますが、ロクサーヌがシラノの連隊に所属するクリスチャンという男に恋していることを知り意気消沈します。そしてロクサーヌのたっての願いにより、クリスチャンとの恋の仲立ちまで頼まれてしまうのです。

しかしそのクリスチャン、なんと「容姿は整っているが頭のほうは今一つ」な、シラノとは真逆の男!まともなラブレターも書けないクリスチャンのためにシラノはロクサーヌあてのラブレターを代筆しますが、それはシラノ自身のロクサーヌへの思いの丈を、シラノの極上の名文で綴ったものなのでした。

ロクサーヌはラブレターの美しい文章に感銘を受け、さらにクリスチャンへの愛を強めてゆきますが、ロクサーヌの心を突き動かしたのは、当然ですがシラノのクリスチャンを愛する心だったんです。シラノがロクサーヌへの強烈な愛を書き連ねれば書き連ねるほど、それをクリスチャンの文章だと思っているロクサーヌはクリスチャンへの愛を深めてしまう。これはなんと皮肉で悲しい物語なのでしょう。

ディンクレイジ演じるシラノの迫真性

ロクサーヌは遂にクリスチャンと逢瀬することになりますが、なにしろクリスチャンはお馬鹿なのでまともな会話ができません。そしてここでもシラノが物陰に隠れてアテレコすることになるという笑うに笑えない展開!ここでシラノは、自分自身の愛の言葉を、それが彼の言葉と思われないことと知りながら切々と語ることになるのです。愛する人に心を打ち明けることの天にも昇るほどの陶酔と、それとは裏腹の絶望的な現実、ここでの悲痛極まりないディンクレイジの演技は圧巻の一言でした。

なんといってもこの映画の特色は主人公シラノをディンクレイジが演じることです。原作では「デカい鼻の主人公」が描かれますが、この『シラノ』では、なにしろ主演がディンクレイジなので、「小人症の主人公」が登場します。そしてこれが、映画にとても貴重な効果を上げているんです。

というのは、「デカ鼻がコンプレックス」というのは字面で見るなら楽しいのですが、そのまま映像化すると付け鼻のメイクになりますから、どうにも見た目が嘘くさくて滑稽なんですよ。しかしそれを「小人であることのコンプレックス」といった形で映像化すると、強烈な説得力を帯びてくるんです。だからこそディンクレイジの演じるシラノはどこまでも切迫感があり、そして迫真的なんです。この部分においてだけでも、シラノ・ド・ベルジュラック映像化における最高に成功した例だと言えるのではないでしょうか。

切なく苦しい愛の物語

こういった心揺さぶる物語とは別に、当時の風俗を余すところなく描いた映像も見事でした。冒頭の演劇潰しも当時のフランスではよくあった事らしく、『ドン・ジュアン』で有名なモリエールも劇団同士の抗争を繰り広げていたという話です。ロクサーヌが詩を詠むサロンも当時の有閑階級には至極身近なものでした。当時のフランスにおいて詩がどれだけ愛されていたか、重要なものであったかもうかがえるというものでしょう。だからこそ詩的なラブレターは、書いた者の知性と教養と美意識を如実に表したものだったのです。

ミュージカルとしては派手さや外連味は乏しいにせよ、充分に優美でありたおやかなものでした。そして劇中で歌われる歌は、後半に行くほど切実さに溢れじわじわと胸を締め付けるようになります。憎まれ口を叩くなら、超話題作だった某や大ヒット作となった某などよりもオレは断然好きでしたね。

物語は古典でありながら現代にも通じる普遍的な魅力を持つものです。この物語のプロットは様々な部分に於いて後世ありとあらゆる物語に流用されているのではないかとすら思いました。なんとなればこれは、究極のお人好しの物語だと取れないこともありません。しかしこの物語はただそれだけではないのです。結局はシラノは、「本人が書いたものではないラブレター」という、「嘘」をずっと続けてしまったということにもなります。そしてそれが最後に恐るべき結果を迎えるとは知らずに。それでもやはりこれは美しい物語であり、そして切なく苦しい愛の物語でもあるのです。