癲癇院の異常な夜/映画『ルナシー』【ヤン・シュヴァンクマイエル週間その3】

ルナシー (監督:ヤン・シュヴァンクマイエル 2005年チェコ映画) 

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精神病院で母親を亡くし、悪夢にうなされるベルロ。同じ宿に居合わせた侯爵は、そんなベルロを自分の城へと招待する。そこでは、完全な自由主義を唱える侯爵による禁断の儀式が繰り広げられていた。やがて侯爵は、ベルロに自分と同じセラピーを受けさせようと提案、彼の通う精神病院へと連れて行く。 

2005年に公開された映画『ルナシー』はヤン・シュヴァンクマイエルの長編5作目となる作品だ。本作はエドガー・アラン・ポーの二つの短編小説 『タール博士とフェザー教授の療法』と『早すぎた埋葬』を基にしており、マルキ・ド・サドの著作からも影響を受けているという。

物語の主人公ベルロは母を精神病院で亡くし、自らも同じ運命を辿ることに恐怖して毎夜悪夢に悩まされていた。ある日ベルロは奇妙な侯爵の城に招待されるが、そこで見たのは侯爵の反キリスト儀式だった。逃げ出そうとするベルロを侯爵は引きとめ、「恐怖を克服するためにはセラピーが必要だ」と言って彼と共に精神病院へと向かう。しかしその病院の美しい看護婦から、病院内でかつて患者たちの反乱があったことを知らされる。

この作品で描かれるのは様々な対立項だ。それは正気と狂気であり、善と悪であり、真実と嘘である。主人公は精神病院でその対立項の中に放り込まれ、自分がどちらの側にいるのかが曖昧となり、その両端の間で引き裂かれてゆくのだ。登場する奇妙な侯爵もその対立項の一端だ。彼は全きの自由を求める反体制的なアナキストであり、それが管理と支配を第一義とする体制的な病院側との闘争を引き起こしていたのだ。混沌とした状況の中ベルロは看護婦との間に愛を見出しそれに従おうとするが、その愛さえも揺らいでしまう事実と直面することになる。

映画の冒頭、シュヴァンクマイエル監督が登場し、「これはアートではない、ホラーだ」と宣言するが、ではこの物語において「ホラー」とは具体的に何を指すのか。それはこの物語が暗喩するように、社会の体制と機構の中で人間存在が引き裂かれてゆくという事なのだろうか。真実なのか嘘なのかも分からない曖昧な状況の中に捨て置かれ、信じることもままならないまま生きざるを得ない人の生であるという事なのか。

とはいえ、このようなシリアスな命題を掲げながらも、この作品は物語の合間合間に不気味な映像を挟んで気を逸らそうとする。その不気味な映像とは、多数の生肉が蠢き回り不可思議な遊びに講じるグロテスク極まりないストップモーションアニメである。陰鬱な物語の狭間に挿入されるこれらナンセンスでシュールな映像が、この物語に別の解釈の存在があることをうながしているのではないかと思わせるのだ。

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こんな具合に生肉がニョロニョロと遊び回ります

例えば主人公と病院看護婦との逢引きやベッドインのシーンが始まろうとするときに、画面はこの生肉たちが睦み合い絡み合うシーンへと切り替わるのである。あまつさえ、生肉たちは主人公が今行っているのであろう性交シーンを再現し始めたりするのだ。

これは畢竟、人はただ「肉」でしかなく、その願いも諍いもなにもかもが、「肉」同士の起こした事に過ぎない、それも、「蠢く生肉」の如きグロテスクで滑稽なものの行う事でしかないのだ、という事を言い表そうとしているのではないか。そしてそれはあまりにも冷笑的で虚無的な結論と言えはしないか。 映画『ルナシー』は、それがどういうものであるにせよ、シュヴァンクマイエルの一つの絶望の形を描いた映画だったのではないだろうか。その絶望こそが、監督の言う「ホラー」だったのではないだろうか。

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