今度はマルチバースだ!/映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム (監督:ジョン・ワッツ 2021年アメリカ映画)

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スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を観てきましたが、今回のカンソーブンは予告編以上の情報は無しでネタバレは避けつつ書こうかと思うとります。

スパイダーマン映画はライミ版『スパイダーマン』(2002-07)、マーク・ウェブ版『アメイジングスパイダーマン』(2012-14)と来てこのMCU版『スパイダーマン』(2017-21)が3番目の映画化となるわけですが、この『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』はMCUスパイダーマンの第3作となるわけです。

このMCUスパイダーマン、嫌いじゃないんですがオレ的にはあまり思い入れも無くて、なんでだろうなあ?と思ったんですが、基本的にこれは「ヤングアダルト向け」の作りをしてるからかなあ、という気がしています。映画の出来云々の問題ではなく、少年少女が主人公となり彼らの青春期が主要テーマとなる作品って、このスパイダーマンに限らず汚いジジイと化しているオレにとってはなんかこう感情移入し難いんですよ。

【物語】前作でホログラム技術を武器に操るミステリオを倒したピーターだったが、ミステリオが残した映像をタブロイド紙の「デイリー・ビューグル」が世界に公開したことでミステリオ殺害の容疑がかけられてしまったうえ、正体も暴かれてしまう。マスコミに騒ぎ立てられ、ピーターの生活は一変。身近な大切な人にも危険が及ぶことを恐れたピーターは、共にサノスと闘ったドクター・ストレンジに助力を求め、魔術の力で自分がスパイダーマンだと知られていない世界にしてほしいと頼むが……。

スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム : 作品情報 - 映画.com

という訳で『スパイダーマンNWH』を観てきたんですが、前作も大概なもんでしたが、今回は今までで一番ノレなかったなあ。

この物語、主人公ピーター・パーカーがスパイダーマンであることがバレ、それを人々の記憶から消す魔法をドクター・ストレンジに頼んじゃう事から始まるんですよ。しかし魔法詠唱中にピーターが茶々を入れ過ぎて魔法が失敗、それによりマルチバースが開いてパラレルワールドヴィランが大挙して現われエライことになり、ピーター/スパイダーマンはその後始末をするのに大わらわ、というのが物語の大筋です。

で、あんなことやこんなこと、こんな大破壊やらあんな大悲劇やら、こんなサプライズやらあんなファンサービスやらが飛び出し、CGIでゴージャスに盛り付けられたアクションとスペクタクルがドッカンドッカンと打ち上げられ、MCUスーパーヒーロー映画として・エンターティメント作品として大いに盛り上げてくれてはいます。

それはいいんですが、要するにこのお話で起こるあらゆる物事って、結局はピーターが自分で蒔いた種ってことじゃないですか。で、巡り巡ってあのラストって、いやアナタ、だから最初からそうしろって話でしょ。それ、お話としてなにも物語ってないというか、空虚過ぎはしませんか。確かにある種の救済は描かれますけれども、それは派生的にそうせざるを得なかったというだけであって、その救済が別の犠牲を生み出すとか、何が何やらではありませんか。

マルチバースを扱っている部分で面白いこともやっていますけれども、しかし独立した一個の作品として観ると単なる懐古趣味であり実は新しいことを何もやっていないという事になっていませんか。これなら同じマルチバースを扱ったスパイダーマン・アニメ『スパイダーマン:スパイダーバース』のほうが数段驚きと新鮮味に溢れていた上に、完成度や物語の充実度と言った点で優れていると思いましたよ(というかオレは『スパイダーマン:スパイダーバース』自体がスパイダーマン映画の最高傑作だと思っています)。

それとMCU作品ということでどうしても他のマーベル・ヒーロー、今回ではドクター・ストレンジが絡むことになってしまってますが、ドクター・ストレンジ自体は好きなキャラクターなんですが、どうもドクター・ストレンジの鬱蒼とした魔法世界とスパイダーマンの甘酸っぱいヤングアダルト世界との融合がしっくりこなかったというのもあるなあ。特に魔法ってなんでもアリになっちゃうので取り扱い注意なんですが、今作ではそれが物語を大味にしているように思えてしまいました。

とまあキツイ言い方をしてしまいましたが、エンドロールの選曲だけは物語の内容を上手く象徴していてニヤリとさせられました。あのグループ、好きだったなあ。