オレと運転免許

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Photo by Erik Mclean on Unsplash

そういやこの間の9月10日は会社に夏休み貰って運転免許の更新に行ったんだった。

運転免許は30歳ぐらいのときに取った。この頃に今の会社に就職したのだが、就業条件として運転免許の取得があったからだ。とはいえ、実のところオレは車の運転に興味がなく、興味がないどころか車の運転などまるでやりたくなかった。はっきり言うと車の運転を憎んでいた。今現在に至るまで車を始めとする内燃機関にも興味はないし、それら内燃機関を中心とする文化にもなるべく近づきたくなかった。

教習所は実技がだいたい終わった頃に嫌気が差しその後3ヵ月あまり休んだぐらいだ。オレはフォークリフトの運転ができたので車両感覚はなんとなくあり、教習も割とそつなくこなしたが、実際に道路に出て運転するのがまるでダメだった。なぜかというとただただひたすら怖かったからである。大や小の金属製の内燃機関が致死性の排気ガスを撒き散らせながら高速で移動し、一つ間違えば命を落としあるいは病院送りになりまた逆に自分が相手をそのような目に遭わせる可能性があり、それでなくても車両接触やら破損やらで警察沙汰やら賠償やら面倒くさいことに巻き込まれ、さらに言えばどれだけきちんと走っていようと路上にはありとあらゆる種類のキチガイがいてオレを不幸と絶望のズンドコに陥れるために涎を垂らしながら手ぐすねを引いて待っている、そういった想像を絶する数多の事態に遭遇することがあり得るということに、どこまでもどこまでも恐怖していたのである。実のところ、オレは強度にパラノイアックな精神がちょいとアレな人間なのだ。

試験自体は学科も実地も一回でokで免許も取れたが、まあなんというか嬉しくもなんともなかった。教習所でかかった数十万円がひたすら勿体なかった。免許を取ってから数年後会社で運転もしたが、まあダメダメもダメダメだった。運転をすると吐いた。パニック障害を起こしたのである。だから運転を必要とする部署から外されたときはしみじみと安堵した。人には向き不向きがあるのだ。それ以来一度も車の運転はしていないし二度としたくはない。

そんなわけでなにしろ運転はしていないのだからこれまで免許更新は全て優良扱いであり5年おきである。ただ免許更新という行為自体もオレには果てしなく忌まわしく呪わしいことに違いなく、それは運転免許試験センターなるものがオレの全ての悪夢の根源であり恐怖の牙城であり瘴気に満ちた穢土にそそり立つ悪魔のスクツであるからなんである。こんな場所に長居はしたくないのでいつも免許更新は比較的空いている平日に休みをもらって行くことにしていた。だからこの日も平日に行ったのだ。するとこの日はいつになく空いていて、すいすいと工程を消化し写真も撮って30分の講習を受け解放された。貰った新しい免許の写真は寝癖頭のまま映っており、その寝癖頭は「頭の中になにか飼っているのか」という状態となっていたが、もはや60にも近い歳になって写真写りなど気にしても始まらず、貰うものを貰ってほうほうのていで逃げ帰ってきた。こうしてオレの呪われた免許更新は終了したのである。

終わったのは昼前で、腹も減っていたのでラーメン屋に寄り味噌ラーメンなどを食してきたが、これがまた高血圧症の人間にとって口惜しくなるほどの美味さで、「ううう……汁全部飲み干したい……」という誘惑から逃れるのに苦労した。その後解放感に任せて映画なんぞを観に行き、忌まわしい時間を過ごしていたことをできるだけ忘れようと努めたオレなのだった。

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