旧ソ連に生きる人々の抑圧された日常を生々しく描き出す映画『DAU. ナターシャ』

DAU. ナターシャ (監督:イリヤ・フルジャノフスキー、エカテリーナ・エルテリ 2020年ドイツ・ウクライナ・イギリス・ロシア映画

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1952年、旧ソ連秘密研究都市

なんだかとんでもない映画を観てしまった。タイトルは『DAU. ナターシャ』、ロシア人監督コンビが撮ったこの映画は、1952年の旧ソヴィエト連邦の某地に存在する秘密研究都市を舞台にした作品である。今回は多少ネタバレあり。

主人公はウェイトレスとしてカフェに努める中年女性ナターシャ。同じウェイトレスである若い娘オーリャとはそりが合わず、仕事が引けた後はお互い酒を飲みながら喧嘩する毎日だ。ある日そのカフェに秘密実験に参加するフランス人科学者リュックとその関係者がやってきてナターシャと意気投合、オーリャのアパートでパーティーが催され、そこでナターシャはリュックと一夜を共にする。ここまでが前半だ。

なにがとんでもないって、ここまでのパートで物語らしい物語は殆どなく、酒に酔ったナターシャとオーリャが管を巻き合い掴み合いの喧嘩をするといった場面や、パーティーで登場人物たちが浴びるように酒を飲み燻製魚を貪り食い、ぐでんぐでんに酔っぱらって大騒ぎを演じる場面や、寝室にしけこんだナターシャとリュックが濃厚過ぎるほどのセックスシーン(映画は成人指定である)を見せる場面などが延々と描かれてゆくだけだからである。映画を観ながら「オレはいったい何を見せられているんだ?」と呆気にとられてしまった。

ありふれた日常と背中合わせの恐怖

しかしそれらの場面はどれも現実の光景を盗み見させられているかのように猥雑で生々しく、実際に1952年の旧ソ連人の日常がそのまま切り取られているかのように錯覚させられ、その生々しさ故に目が離せないのである。それは、舞台となるのが旧ソ連の、それも秘密研究都市という特殊な場所の日常だからという事もあるだろう。1952年、いまだ鉄のカーテンの向こうにあった旧ソ連の日常は、日常でありつつどこか異質であり、あたかもゴダールの『アルファヴィル』の如く、架空の世界の架空の都市が舞台となったSF作品なのではないかと思えたほどだ。

しかしこれら奇異でありつつもありふれた日常の描写は後半、急転直下の衝撃的な展開を迎える。なんとナターシャはKGBに連行され尋問を受けることになるのだ。容疑はフランス人科学者と寝たという理由だった。ここから延々と続く尋問と拷問の描写がまたもや生々しく、ひたすら理不尽で不条理であり、映画であると知りつつも恐怖で凍り付いてしまった。後で調べると尋問官アジッポを演じた男は実際にも元KGB職員であり、その尋問・拷問の描写が迫真的だったのは演技ではなかったということなのだ。

この映画はなんだったのだろうか?作品内では一切サウンドトラックを使用せず、あくまでドキュメンタリータッチで撮られた映像は映画的カタルシスを否定し、ただただ砂を噛むような現実だけを残酷に映し出す。延々と描かれる旧ソ連人の日常、その狭間に突如行われる逮捕と尋問、それは、飲み食い騒ぎ、喧嘩してセックスする日常と同じぐらい日常的な出来事だったのだということなのではないか。それはありふれた生活に背中合わせとなって偏在する恐怖であり、常に不条理が支配する世界で生きることの残酷さなのだ。

恐るべき規模のプロジェクト

さらにこの作品には、それだけのものに止まらない恐るべき背景が存在する。制作の規模が殆ど狂気じみているのだ。なんとこの作品、「オーディション人数39.2万人、衣装4万着、欧州最大1万2千平米のセット、 主要キャスト400人、エキストラ1万人、制作年数15年」を掛け、 「ソ連全体主義」の社会を完全再現しようとしたプロジェクトのほんの一部なのである。つまり映画『DAU. ナターシャ』は、いわゆる【DAU.世界】の最初の一作に過ぎず、撮影されたフィルムから今後も16作の作品を制作する予定であるという。

すなわち、『DAU. ナターシャ』で垣間見せられた「ソ連全体主義の恐怖」はまだまだとば口に過ぎず、これからさらにその世界を深化させてゆくということなのだろう。ちなみにタイトルにある「DAU」とは1962年にノーベル物理学賞を受賞したロシアの物理学者レフ・ランダウからとられているということだが、今後はそちらの方面で秘密研究の全貌が明らかにされてゆくのだろう。これからが楽しみであり、また恐ろしくもあるプロジェクトである。