さらばTV Bros.、そしてポップなカルチャー

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TV Bros.」という雑誌があってだな。うわべはTV番組雑誌のようにみせかけてその実ポップカルチャーを大幅にフィーチャーした雑誌なのだよ。オレは新聞も雑誌もまるで読まない人間なのだが、このTV Bros.ファミ通だけは10数年以上律儀に購読していたのだよ(ファミ通はもう読んでないが)。50も半ばを過ぎる様なジジイのオレなのだが、「50過ぎて読む雑誌がTV Bros.ファミ通だなんてオレってロックだぜ……」と勝手に自己陶酔していた。まあ現実的には「なに言ってんだこのクソジジイ」と思われること必至だがな!

ポップカルチャーなんて言っちゃうとなにやらフワフワして足元のおぼつかない、理屈ばかり多くて現実には屁のつっかえにもならない戯言ばかりを躍起になって持ち上げる脳みそお花畑なナニカを連想しちゃうがな、しかしTV Bros.で取りあげられるそれら”カルチャー”は、オレにとってはどうでもいいものだけで溢れ返る世の中でどこか心にしっくりくるある種の「文化的態度」を感じさせて、オレは好きだったのだよ。

かつてはこのポップカルチャーなるものをサブカルチャーと呼んでいた時代もあったな。もちろんポップカルチャーサブカルチャーではないのだけれども、両者はどこかで重なりあるいはその発展形となり現代に存続しているのではないかな。とはいえサブカルなるものは既にこの現在には存在していないと考えた方がいいと思うな。ネットが発達しこれだけ価値観が多様化した時代にメインもサブもないからだよ。

サブカルチャーはかつてカウンターカルチャーの役割も負っていたけれども、価値観のメインが喪失してしまった以上カウンターである役割などもう誰にも求められていないんだ。だから今「サブカル」なんて言葉がどこかで呟かれたとしたら、それは単なる懐古趣味であり昔を懐かしむこと以外に生きる喜びの無い哀れ極まりないジジイババアのパンツに沁みた分泌物のように饐えた臭いのする慰みもの程度の事だと思えばよろしいのだよ。

ああくそう例によって思いっ切り話が逸れた。オレはTV Bros.の事を書きたかったんだ。

オレはTV Bros.で取りあげられる本や音楽や映画がとても好きだったんだ。好きだったし、しっくりきたんだ。そしてTV Bros.のコラムが、とても楽しくて好きだったんだ。オレはこのブログを2004年の2月から、場所をはてなダイアリーからはてなブログへと移しながらも14年間続けてきたのだけれども、オレがこのブログで目指したもの、それは実は、「TV Bros.みたいなブログにしたい」ってことだったんだ。

そこには本があり漫画がありゲームがあり音楽があり映画があり、そして日々の雑事を面白おかしく書いたコラム的な雑文がある。最近は映画のレビューばかり書いているが、決して「映画ブログ」を名乗りたくないしそうしていないのは、「なんだか種々雑多な寄せ集めみたいなブログ」でありたかったからだ。

とはいえ実の所そんな意気込みも10年目ぐらいまでで、あとは惰性と誰に頼まれているわけでもない虚無的な義務感のみでブログを続けているがな。ニヒリストなのだよ。だからブログタイトルは「メモリの藻屑 記憶領域のゴミ」なのだよ。あ、誰もそんなこと聞いてませんでしたか、すんませんすんませんみんなオレが至らないせいです監督不行き届きでしたもう檻から出しません(何をだ)。

で、ここまでダラダラとナメクジが這った後の粘液の跡みたいな文章を書いて何が言いたいかというとですね、そのTV Bros.が、これまで隔週刊だったものが月間化し、いろいろリニューアルするらしいということに思うことがあって、なんですけどね。いやあ、しかしここまで読んでくれてる人世の中に何人いるんだろうなあ、ま、続けちゃうけど、その「思うこと」っていうのは、「もういいや」ってことだったんですがね。

なんだよ、ここまで書いてその結論かよ、そんなの最初に書けよ、ブログは簡潔に要点をまとめることが重要なんだよ、目指せ月間PV100万だよ、SEO対策もばっちりだよ、アフィで稼いでプロブロガーだよ、とかああああうるせえお前に向かって書いてるんじゃねえ失せろ消えろ肛門にアナルビーズ10本ぐらい突っ込まれて取り出せなくなるがいい、と見えない誰かと戦いつつ、その「もういいや」ってのはどういうことかっていうと、もうTV Bros.を読まなくていいかな、ということと、もうポップカルチャーなるものは今のオレには関係ないし実の所よくよく考えるともともと関係無かったかもな、っていうことだったんだよな。

まあ煎じ詰めると年も取ったし新しいものは理解できなくなったしポップだあカルチャアだあなんぞ言ってるよりも残業しないで早く家帰って酒飲んで寝たい、実生活において考える事と言っちゃあそんなもんだし、老後だあ健康だあ貯金だあ年金だあと辛気臭くクソ面白くもねえ現実塗れの不安と心労をポップなカルチャーごときが決して贖いはしないしそれを求めるべきもんでもない、ってことなんだがな。そういった、「もういいや」なんだよ。オレはもう「今日も一日なんとか終わった」「身体がどこも痛まなくて薬がいらない」ということが一番の幸せでしかないんだよ。年取ったんだ。

一番身に沁みて思ったのは、「作業着着て一日平均1万歩以上歩き回りながら埃まみれ汗まみれになって仕事してそれほどでもない給金貰って小さなアパートでおっつかっつの生活するのがやっとのオレにとってアートだのゲージツだのなんていうものは所詮アブクやカスミみたいなもんでしかなかったな」という実感だったな。若い頃オレはアートスクールの脱落者だったものだから、イイ年になってもそんなものに色目を使っていたけれども、やっぱりもう、当然ながら、関係ないんだよ。

つまり今回TV Bros.月間化に際して「もういいや」と思ったのは、TV Bros.に代表されるポップなカルチャー的なもの全般に対して「もういいや」と思ったってことだったわけなんだけどな。つうわけでTV Bros.、今までありがとう。楽しかったよ。もう会うことも無いだろうが、オレの知らないどこかの町で、君を愛する誰かと君がいつまでも幸せに暮らしてくれることを、オレは願って止まないよ。♪るるるーらららー(音楽盛り上がる)。

蛇足になるけどTV Bros.で一番好きだったコラムは蒼井そら光浦靖子のコラムだった。蒼井そらは失礼ながらタレントとしても元の仕事のほうもまるで興味がないのだが、いつも頑張っててその成果もきちんと出せているところにとても清々しさを感じていた。光浦靖子は人生相談における洞察力と洞察力のみに留まらない話の膨らませ方、面白おかしく書いているようで決して言い過ぎない書き過ぎないバランス感覚に抜群の知性と感受性を感じた。あときゃりーぱみゅぱみゅも音楽は全く興味無いんだが文章は若くてスピードがあって読ませるんだよなあ。それとTV Bros.の映画評は他のどんな映画評よりも参考にしていた。短い字数でこれだけきちんと評価を述べられる、やっぱりプロの仕事は逆立ちしても真似できないくらい違うもんだよなあとひとりの泡沫ブロガーとしてしみじみ思っていた。