SAILORS & SEA / PIERRE ET GILLES (TASCHEN)

先日オレが日記のどこかで言及した『夢の終わりに…』という本を読まれたニゲラさんのレビュー(id:nigellanoire:20051004)で、以下のような文章があり、オレはひどく感銘を受けてしまった。というか、どこかオレの内面を見透かされたようでどぎまぎしたものである。

(同性愛者について)やはりその種の人たちが常に味わわざるを得ないこの世界に対する違和感や生きづらさに対して、『オズの魔法使い』に代表されるファンタジーやミュージカルが、特別な癒しの力を持っているからこそ愛されるのかもしれないと思った。

実際のところ、オレはゲイでもなんでもなく、バリバリの男脳をした女好きの下品な男なのだが、表現におけるゲイ・カルチャーの生み出すものにはひどく親和性を感じる部分があるのだ。映画でも『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』などは非常に愛すべき作品だと思っているし、他にも『フローレス』や『プリシラ』、『トーチソング・トリロジー』『蜘蛛女のキス』など、ゲイの出る映画というのは結構愛着がある。

音楽はペット・ショップ・ボーイズが好きだ。チープできらびやかなディスコ・サウンドと物悲しいヨーロッパ的叙情の融合。彼等の音楽の持つ陶酔性は性的快楽を異性によって補完できないゲイ独特の自己完結性によるものだと思う。つまりこれはあらかじめ失われたセックスなのだ。だからこそ彼等の音楽は恍惚に満ち、そして憂いに満ちているのだ。

なによりオレの好きなダンス・ミュージック自体がゲイ・カルチャーから派生したものであることはよく言われている。ダンス・ミュージックというのはさきに述べた自己完結した陶酔性の音楽だからね。そもそもオレはデビッド・ボウイのようなアンドロギュヌス的な表現をするアーチストを愛してきたしな。おまけによく着る洋服もアメリカのゲイ・デザイナーのものだったりとかな。それは多分この自分には、ニゲラさん言うところの”この世界に対する違和感や生きづらさ”を彼らと同じように感じ、そして共感する部分があるということなのだろう。

この写真集のピエール&ジルはフランスのゲイ・カップルでありフォト・アーチストである。その作品はポップなレタッチフォトアートで、神話やキリスト教のイコンなどをモチーフにしたカラフルなファンタジー世界。この写真集のような海や船乗りを題材にした作品も多い。オレが持っている彼らの写真集はこれで3冊目になるから、かなり好きな部類に入ると言っていい。

有名なロック・ミュージシャンをモデルにした作品も多数あるが、やはり被写体の中心となるのは逞しい肉体と真珠のような歯をした美形男性のヌードである。どの作品でも凝りまくったセットが組まれ、仕上げにも念密なレタッチが施される。そのポーズはどれも様式的で、人の持つ生々しさを一切感じさせない。現実のくびきからから開放され、聖なる世界で純粋なエトスとして存在しているかのようだ。そうして生み出される作品の中で息づき微笑む男女たちの姿は、生きることのしがらみも憂いもない天国の住人のような、神々の眷属に迎え入れられたかのような明るさと朗らかさに満ちている。このセンスはゲイ達の演じるドラッグ・クイーンに通じるものがあり、それはトゥーマッチで喧しいものではあるが、だからこそ軽々とこの現実を超えた場所を見ることが出来るのだ。

ピエール&ジルの見せてくれるこの天界の法悦の情景は、ゲイたちの夢見るセクシャルでファンタジックな御伽の国であり、理想郷なのだろう。そこには何一つ翳りのない喜びに満ちたゲイの世界がある。この圧倒的な肯定に満ちた表現が、性的嗜好など飛び越え、見るものを夢の国へといざなうのだ。その世界は、それを愛することが出来るどのような人間だって受け入れてくれるのだろう。多分ゲイたちというのは博愛主義者なのだ。そして、僕らのこの世界は素敵さ、ほうら、君もこっちへ来てごらん…と誘っているのである。(えっ)