■マントラ [原題:Mantra] (監督:ニコラス・カルコンゴール 2017年インド映画)
インド映画『マントラ』観ました。
「マントラ」かー、なんか意味深なタイトルだよなー、地球の中身がどうしたってんだろなー、あーそりゃ「マントル」かー、「マントラ」ってあれだ、「真言」のことだよなー、なんか宗教的な何かなの?……などとグダグダ言いながら観始めましたが、まあ要するに冷え切った家庭の危機を描く人間ドラマだったんですけどね。
まず物語に出て来る家族のお父さんってのが「いつもいい顔ばかり見せる見栄っ張り」「同時に人に真意を見せない人間不信」「なにやっても面白くない不感症」といった性格で、さらに経営しているポテトチップ会社が破産の危機に瀕しているんですね。いやあ、ことごとく危機的な人ですね!こんなですから奥さんはもうこんな旦那イヤと思ってるし娘は「こんな家で家族ごっこしたくない」と思ってるし息子1は「オヤジうぜえ」と思ってるし息子2は「誰とも関わりたくないオレ、ネットでチャット中毒」なわけなんですね。
こんな中『マントラ』ってなんだ?というと実は息子と娘のやってるレストランの店名だった、という訳で、最初なーんじゃと思ったんですが、まあ物語を追って深読みすればいろいろありそうです。
で、観終ってみるとなんだかインド映画臭くないというか、インド映画観た気がしない、という印象なんですよ。現代インドの都市部に住むアッパーミドルな資産家一家の生活とその交友関係ってェのが全部インドぽくない。で、中心になる一家の心の離れた冷え冷えとした関係、というのもやはりインド映画ぽくない。確かに都市化ってそういうもんなんでしょうね。そして、都市化・欧米化したことによりインド人であることの精神的支柱、アイデンティティみたいなものが薄れてきたことへの危機感がこの物語のような気がします。
つまり、映画のインドぽく無さというのは、それは「インドぽくなくなってしまったインド」を描いているからなんです。そして登場人物たちも、そんなインドぽく無い自分たちに戸惑っているんです。特に「家族団欒」に異様に拘るお父さんはその最たるものでしょう。かつてのインドのように「強くて頼れるお父さん」がいて、「そのお父さんの元幸せに暮らす家庭」をお父さんは夢想しているのでしょうが、もう、家族の誰もそんなものに幻想を持っていないんです。そして同時に、家族の他のメンバーも大なり小なり「インド的でないインドの暮らし」による躓きを体験している。
インドは1991年に経済を開放しグローバリゼーションを受け入れ、世界的な経済大国の一員となることが出来ました。しかしそれにより失われたのは「古き善きインド」です。経済が豊かになり生活が潤い自由な生き方ができるようになり、もちろんそれはとても素晴らしい事なのにもかかわらず、それでもどこかで「喪失感」が付いて回る。その「喪失」したものが「古き善きインド」ということなのでしょう。とはいえ「古き善きインド」は日本の「昭和ノスタルジー」と変わらない、単なる幻想です。今後どの国とも同じようにインドの共同体は破壊されてゆくのでしょう。その中で復古主義が暴力的に振る舞うこともあるでしょう。けれども、それでも「未来はどうあるべきか」考えなければならない。過去になんか戻れないんです。
映画『マントラ』はそんな過渡期にあるインド人一家の苦悩を描くものです。とはいえ、多分にドメスティックな内容であるがゆえに日本人観客が観てもカタルシスに乏しく感じられると思います。オレもなんだか深刻ぶり過ぎてて退屈に思えてしまいました。苦悩が存在する、ということが描かれていても、それをどう昇華することが出来るのか、が描かれないからです。ラストは家族たちが一応の落ち着きを見せますが、それで何が解決したのだろう、という疑問は残るんです。タイトル『マントラ』は失われたインドの伝統を揶揄するのかもしれませんが、それでもやはり勿体ぶり過ぎな気がします。ここはあえて『キングチップス』(主人公の会社が作る製品名)あたりで十分だったんじゃないかなあ。こういった軽やかさがこの作品には足りないような気がしました。