■スイス・アーミー・マン (監督:ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン 2016年アメリカ映画)
『スイス・アーミー・マン』。それは、屁の、屁による、屁の為の物語である。
屁。それが体内から排出されるガスの事である。しかし、ゲップは屁とは呼ばない。屁は、尻の穴から放出されるガスの謂いである。屁は、おなら、中便とも呼ばれる。中便。あまり使わない言葉であるが、小便と大便との中間的な位置づけであると認識されるなら納得できる言葉であろう。厳密には、音がするものをおなら、音がしないものを屁と区分けされるものであるが、ここでは総体的に屁と表現することとする。
屁は、平均的な成人であれば一日に0.5~1.5リットルを放出するものであるという。そしてその屁は、時として、臭い。それは腐敗臭の如き臭いを放つ。その成分は窒素・酸素・メタン・二酸化炭素・水素であり、それに酪酸・硫化水素・二酸化硫黄・二硫化炭素などが混入することにより、あの得も言われぬ臭いへと醸造されるのである。実はこれらの成分は、火山性ガスと重複する部分が多々ある。
即ち屁の臭いとは、火山活動の臭いであり、見方を変えるなら、我々は、その腹中に、ひとつの火山を抱えていると言っても過言ではないのである。火山とは地殻深部に溜まったマグマが放出される現象であるが、そのマグマは、地底の岩石が高温により溶けだしたものであるという。これら火山活動は、地球が、まるで生きているものであるかのように想像させる。
宇宙の誕生は約138億年前であると言われている。そして地球の誕生は今から約46億年前。この悠久の時を経ながらなお、地球内部では活発な活動が行われているのだ。翻って当初の懸案である屁について考えてみよう。体内にありながら、あたかも火山活動を連想させる屁。それは我々が、その体内に地球を宿しているということの仮象であり、そして屁をひるという行為を通じて、我々は宇宙的タイムスパンの中にある地球の歴史を体現しているということはできはしないか。
そう。屁をひる、屁をこく、放屁する、それら日常茶飯事のありふれた中便行為の中に、実は、地球の誕生と、宇宙の神秘と、その中で生きる限られた生命である我々の運命とが、密かに重ね合わされていたのである。だからこれからは思い出してほしいのだ、轟音で、あるいはすかしっ屁で、あなたの肛門からガスが放出されるその時、地球と、宇宙とが、あなたの体内で息づいているのだという事を。
(あ、いかん、映画の話なんも書いてなかったが、要するに「死体が屁をブリブリぶっこくバカな話を作りてえ!」というアイディアがあって、でもそれだけだと97分持たないから「なんかもっともらしいこと言わせてもっともらしい映画だと思わしちまえ!」と思い付きのエピソードあれこれぶっこんで一丁上り、というところがこの映画のホントのところで、この「バカ」と「もっともらしさ」の配分はそんなに悪くなかったし映画全体も面白く出来てんじゃね?と思いました。これを真似てオレも「屁」について思い付きのもっともらしい話を適当に並べてみたという訳ですな。おしまい)