『マヌ法典―ヒンドゥー教世界の原型』を読んだ

■マヌ法典―ヒンドゥー教世界の原型 / 渡瀬信之

マヌ法典―ヒンドゥー教世界の原型 (中公新書)

多民族、多言語、多宗教の国インドでは、今日ヒンドゥー教徒が総人口の8割をしめ、かれらは文化、政治、経済に圧倒的な力を及ぼす。ヒンドゥー教は信仰と生活実践を一体化した宗教で、特有の社会制度、法律、倫理道徳の体系をもつが、その原型は記元前後の編纂と推定される『マヌ法典』で仕上げられた。本書では、今日もインドの社会体制、人びとの価値観と生活の深層部を支配する『マヌ法典』を、正確に、わかりやすく紹介する。

1.

インドに関わる本をちまちまと読んでいるが、「まあ、手を出さないほうが無難だな」と思っていたのが『マハバーラタ』あたりの聖典と『マヌ法典』だった。前者はあまりに膨大だし、後者はかったるそうだったからである。しかしインドのカースト制度を考える時に、やはり『マヌ法典』は避けて通れないものがある。反カースト運動の指導者であり、インド憲法の父とも呼ばれているあのアンベードカル博士が、カースト制を助長するとして『マヌ法典』を焚書にしたというエピソードを知るにつれ、「それはどれほど苛烈なものなのか?」という部分に興味を抱いた。
だがまあやっぱ読むのはかったるい……そう思っていた時に見つけたのがインド古代文化史研究者・渡瀬信之氏による著作『マヌ法典―ヒンドゥー教世界の原型』だ。おお、なんか薄いしサクッと読めそうじゃないか、そして読んだら「オレ、『マヌ法典』知ってるぜ?」と知ったかぶれそうじゃないか。新参の"なんちゃってインド映画ファン"のオレにはこのぐらいが適当だろう、という姑息な目論見の元、読んでみることにしたのだ。

2.

さてその『マヌ法典』だが、インドの古代に(いやあザックリした表記だなあ)最初からドカーンッ!と出現したわけでもないらしい。紀元前1500年あたりに西北インドから侵入してきたアーリア人の祖先たちが、それまでインド亜大陸に暮らしていたドラヴィダ族(現在の南インドを中心とする民族ですね)を支配し、いわゆるヴェーダ文化が成立する。そして前6世紀から前2世紀あたりにアーリア人司祭=バラモンを頂点とする社会規範を確固とさせるためヴェーダ律法書「ダルマ・スートラ」を編纂する。で、それをさらに煮詰めたものが『マヌ法典』であるという。しかしそれは法律書ではなく、あくまでバラモンと王の生活規範を述べたものであるらしい。

『マヌ法典』は全十二章、千三百四十二のシュローカと呼ばれる二行詩から成り立っており、原題は『マーナヴァ・ダルマシャストーラ』もしくは『マヌ・スムリティ』である。前者の原題は「人類の始祖マヌに発するダルマに関する教え」、後者は「人類の始祖マヌの伝承」を意味する。「法典」の訳語はダルマの語が「法」と訳されていることに由来しているが、しかしこの訳語から『マヌ法典』を法律書と考えてはならないことは既に示唆した。それは、実際には、人々、厳密に言えば当時の支配者であるバラモンと王、とりわけ前者の生涯にわたっての行動および生活の在り方を説く百科全書的な様相を呈する。(まえがき)

著書は「第一章『マヌ法典』の世界観」「第二章『マヌ法典』の人生観」「第三章 行動の準則」「第四章 罪と贖罪」「第五章 犯罪と刑罰」と章立てされ『マヌ法典』を紹介してゆく。

まず最初に「世界の創造」が紹介されるのだが、これがなかなかにファンタジックかつ稀有壮大で面白い。『旧約聖書』の天地創造なんかと比べても、ジョルジュ・メリエスの素朴な特撮とマイケル・ベイのチカチカしまくった最新SFX映画ぐらいに違う……と書いちゃうとちょいと大袈裟か。全体的にも、その人生や生活の在り方の規範が、慣れ親しんでいる日本的・あるいは欧米的なそれとかけ離れていて、なんだか異世界SFの設定資料を読まされているぐらいに思ってしまった。要するにね、とても面白いんですよ。

3.

『マヌ法典』成立の過程を読んで面白かったのは、その教義が最初から一枚岩のようにあったわけではなく、いわゆる折衷主義の賜物であったということだ。『マヌ法典』は基本的に人間は欲望を本質とするものとしており、欲望とそれに欲する行為を肯定していたのだという。まずこの辺から「え、そうだったの?」と思わされてしまうが、簡単に言うとこれを作ったバラモンの「俺っち偉いんだから欲望の赴くままに生きさせてよ」ということなんだろうと思う。

しかし、『マヌ法典』編纂当時、苦行を中心とする「禁欲主義」が台頭していた。俗世を捨てキッツイ修行を経て解脱する、というアレね。けれども「人間は欲望を本質とする」とする『マヌ法典』編纂者側としては「あれキッツイしやりたくねえよなあ……けど入れとかないとうるさい連中居るしなあ……」ということで、「学生として学んで家長として財産成して、沢山子供作ったあとは、森に入って苦行して天界に行きなよ。でもまあ隠居老人になるなら苦行しなくていいよ」なんていうどっちでもいい書き方をすることになった。実は『マヌ法典』、意外とイージーなのだ。

それと、生活とそれに伴う祭祀について、非常に事細かで厳粛な要求が成されていて、それはバラモンとして神に近づくためなんだけど、著者によると「ま、これ全部ホントにやってたバラモンは殆どいないだろう」みたいなことが書かれている。とりあえず崇高な理想は挙げとくけど、まあこれはあくまで理想なんだからね、というのが実は『マヌ法典』だったのだろう。ここでも『マヌ法典』のイージーさがうかがえて面白い。いわゆる本音と建て前ってやつだな。あと姦淫についての罰則なども相当多かったけど、これは逆にみんな姦淫しまくってて示しがつかなかったということの裏返しなんだろうね。だってアナタ、インドはカーマスートラを生み出した国なんだぜ?

4.

そんな『マヌ法典』であるが、これがなぜ苛烈なカーストを助長することになったのだろうか。実の所『マヌ法典』には身分制度の大枠であるヴァルナが既に組み込まれて言及されており(一般的に"カースト"と呼ばれているのはこのヴァルナとジャーティ(特定の伝統的な職業や内婚集団)を含む身分制度である)、『マヌ法典』が「あくまでバラモンと王の生活規範を述べたもの」とは捉え難い。

ヴァルナ体制の理念の中心は、バラモンを頂点として以下クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラと続く身分制度を骨子とする四ヴァルナ体制の構想にある。この体制はダルマ文献の作者たちの独創ではなく、すでに紀元前八世紀を中心とするブラーフマナ時代の社会において実際に形を取りつつある体制であった。この四ヴァルナ体制を積極的に推し進め、正統ブラフマニズム世界の秩序の中心に据えようとしたのがダルマ・スートラの作者たちであり、彼らを継承するのが『マヌ法典』である。(p15)

ただしこの身分制度の在り方も、前述した「本音と建て前」ではないが、やっぱり緩くイージーに形成されていたのではないだろうか。バラモンなだけで食っていけない奴もいたわけだろうし、そうすると下位のヴァルナにおもねったり同列に仕事をした人間もいたはずだ。

それがなぜ近代に知られる苛烈なカースト制へと変化したのか。以前読んだ『インド人の謎』によると、実はカースト制度はイギリス植民地時代に再定義されたものだというのだ。要約すると、イギリス政府は広大なインド亜大陸を統治するにあたり、法体制を設置する段階でサンスクリット聖典を掘り返し、そこから法源を求めることにした。それにより古代サンスクリットにあった4ヴァルナが近代において再定義され、インドはこれらヴァルナにより構成された「カースト社会」であるという概念が成立したというのだ。日本における「士農工商」が身分制度ではなく単に「あまねく職業」という意味でしかないということは最近の研究で分かっているが、近代におけるカースト制度は「あまねく職業」でしかなかった「士農工商」を身分制度として定義つけてしまうようなことだったのだ。

こうした「近代において再定義されたカースト制度」ということを考えると、かのガンジーがなぜカースト制度を残そうとし、そして賤民出身のアンベードカル博士がそのガンジーと対立しカースト制度を廃止しようとしたのかが分かる。ガンジーが見ていたのはヴァルナとジャーティにより形作られたインド近代以前のゆるやかな職業分担の姿であり、アンベードカル博士が見ていたのはイギリス外圧によって形作られた近代以降の苛烈な身分制度だったのだ。アンベードカル博士は『マヌ法典』を憎んだが、それは実は単に古代の古臭い「生活の手帳」に過ぎず、それを近代に無理矢理運用し絶対視しようとしたこと自体に問題があったのではないだろうか。

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