■Munna Bhai M.B.B.S. (監督:ラージクマール・ヒラーニ 2003年インド映画)
『きっと、うまくいく』のラージクマール・ヒラーニ監督の処女作となる作品が2003年に公開されたこの『Munna Bhai M.B.B.S.』です。お話はギャングの親分が医学部に入学しちゃって学校中大騒ぎ!? というコメディなんですね。主演となるギャングの親分役にサンジャイ・ダット、その子分役にアルシャド・ワールシー。実は前回紹介した『Lage Raho Munna Bhai』はこの作品の続編で、二人のコンビは本作から続いているんですね。ヒロインに『ラガーン』のグレーシー・スィン。また、『きっと、うまくいく』の校長役だったボーマン・イラーニーが出演しているほか、まだ売れる前のナワーズッディーン・シッディーキーがちょい役で出演しているので探してみると面白いかも。タイトルは「医学生ムーナー兄貴」といった意味です。
《物語》ギャングの親分、ムンナー兄貴(サンジャイ・ダット)は、両親が訪ねてくるというので大わらわだった。なぜならムンナー兄貴は自分は医者をやっている、と嘘をついており、本当の事だと思わせるため病院と患者をでっち上げ、そこに両親を案内するつもりだったのだ。取り敢えず作戦は成功したものの、父シャルマー(スニール・ダット)が旧友の娘チンキー(グレーシー・スィン)と見合いをアレンジしてまう。実はその旧友であるDr.アスターナー(ボーマン・イラーニー)は医者であり、ムンナー兄貴の嘘を即座に見破り見合いは御破算、激怒して帰る父親をムンナー兄貴は肩を落として見送ることになる。しかし転んでもただでは起きないムンナー兄貴、「そうだ、本当に医者になればいいんだ!」と思いついてしまう。そして医大の試験に替え玉を送り込み、まんまと合格して医学生となったムンナー兄貴だったのだが!?
ヒラーニ監督の処女作ということでワクワクして観始めましたが、もう冒頭からテンポが良く台詞も脚本も一捻りしてあって、うわあヒラーニ監督、やっぱり最初から物凄い才人だったんだ!?と舌を巻いちゃうような素晴らしい作品でした。お話はヤクザの親分がインチキぶっこいて大学病院の学生となるものの、病院で苦しむ患者の姿を見て「なんとかしなければ!」と善意に目覚めちゃう、というものなんですが、それと同時にとある医学生女子との恋、さらに大学病院の教育方針との対立が描かれ、それらを通して医療ってなんだろう?という問いかけがテーマとして描かれてゆくんですね。ギャングが医学生になるという可笑しさだけではなく、そこに様々な思わぬ展開が加味されて、ヒラーニ監督の非凡さが光る傑作でしたね。
まず何と言っても自分は医者だ!という嘘が冒頭であっけなく暴かれちゃうことで「お?」と思ったんですよ。インド・コメディでは「嘘に嘘を塗り重ねる事でどんどん事態がややこしくなってゆく」という展開を得意としますが、このセオリーを最初の段階であっさり捨て去ってしまう所で新しいな、と思わされました。そして、自分の汚名を灌ぐために医者を志す!というところまではカッコいいのに、本物の医者を恐喝して替え玉試験させちゃうという、というトホホ具合でまず笑わされます。だってギャングだしね!解剖実習で死体が足りないのを見るとすぐさま子分に「死体一個みつくろってこいや」というブラックさにもニンマリさせられますが、いざ解剖となると気絶しちゃうムンナー兄貴が可愛らしい!
ムンナー兄貴の見合い相手はチンキーという女性でしたが、これは実はあだ名で、本名はスマンという医学生でした。ムンナー兄貴は病院で出会ったスマンに恋をしますが、会う前に見合いが破談になったチンキーだとは知らず「俺、チンキーって子と見合いすることになってたんだけど、君のほうがずっと素敵だよ」なんて打ち明けて観客の笑いを誘います。こんな具合に細かな部分の構成にとても心憎いものを感じます。またインド映画ではお馴染みの歌と踊りにしても、いわゆるエモーショナルな盛り上げを狙うものというよりは、それ自体が物語の内容に関わるひとつのシークエンスとなっており、重要な役割を負っているんですね。これら様々な見せ方の中に非常に知的なものを感じさせる部分がヒラーニ監督らしいといえるのではないでしょうか。
実は大学病院の院長は、ムンナー兄貴の嘘を暴いたDr.アスターナーでした。この彼とムンナー兄貴との対立がこの物語の大きな軸になってゆきます。Dr.アスターナーは「患者に心を通わせるな、モノだと思え」と学生に言い放ちます。これは実は医術に私情を挟むな、ということなのですが、人情派ヤクザであるムンナー兄貴にとっては「こいつナニ言ってんだ?」でしかありません。そしてムンナー兄貴は病院の中で大いに義理人情を発揮し、破天荒な行動で多くの人の心を癒してゆくんです。この作品においてヤクザ、という主人公の属性はいわゆるトリックスターとして機能しているんですね。実際は多くの医療でこういった心のケアがきちんと成されているとは思いますが、むしろヒラーニ監督が描きたかったのは、傷ついた者への共感であり、硬直化した権威への疑問です。ヒラーニ監督はその多くの作品の中で権威や権力への反骨精神を描いていますが、この『Munna Bhai M.B.B.S.』で既にこういった監督自身の態度が表面に現れている部分で発見のある物語でもありました。