ギャングの親分がガンジーの幻と出会って大騒ぎ!?〜映画『Lage Raho Munna Bhai』

■Lage Raho Munna Bhai (監督:ラージクマール・ヒラーニ 2006年インド映画)


ギャングの親分がカンジーの幻に取り憑かれて大騒ぎさ!という2006年インド公開の作品です。監督は『きっと、うまくいく』『pk』のラージクマール・ヒラーニで、これは大いに期待出来ちゃいますね!主演を『Agneepath』で坊主頭の悪党を怪演したサンジャイ・ダット、その相棒にアルシャド・ワールスィー。そしてヒロインをヴィディヤー・バーランが好演しています。

《物語》ムンバイに住むギャングの親分、ムンナー(サンジャイ・ダット)は、ラジオDJのジャンヴィ(ヴィディヤー・バーラン)にメロメロでした。ある日ムンナーは、ラジオ番組で開催されるガンジー・クイズで優勝すると彼女のDJブースに招待されることを聞き、イカサマの限りを尽くして優勝、遂にジャンヴィに会うことが出来ます。しかしそこでムンナーは自分が歴史の教授だと嘘をついたばかりに、ジャンヴィの祖父とその友人のために講演してほしいと頼まれます。まずい、ガンジーのことなんて何も知らない!焦ったムンナーは図書館に引きこもり、三日三晩、不眠不休でガンジーの本を読み漁ります。そしてヘロヘロになった彼の前に、なんと、ガンジーが姿を現したのです!

マハトマ・ガンジーといえばインド独立の父、無抵抗主義の偉人、志半ばに暗殺された政治家…ぐらいは出てくるのですが、詳しく知っているわけではありません。しかも実は「無抵抗主義」というのは誤りで、「非暴力、不服従」の提唱者、というのが正しいのらしい。そんなガンジーですが、「カースト制度を撤廃させなかった」という理由で批判的に見る向きがあることを知って驚きました。インド映画を観ていても取り沙汰されることはあまりないような気がします。60年以上前に亡くなった方ですから、インドでも「昔の人」扱いなのでしょうか。

この映画の主人公ムンナーも、最初は「ガンジー?お札に載ってる顔の人?」程度しか知らないんですね。しかしラジオDJのジャンヴィの関心を惹きたい為に、一念発起して猛勉強を始めちゃうんだからギャングのくせして意外と可愛いじゃないですか。しかも飲まず食わず不眠不休で3日間ですよ!?そんな彼の前になんとガンジーの幻が現れ「私になんでも聞いてみるがよい」なんて言い始めるからさあ大変、おかげでジャンヴィには面目が立つわ、その後もラジオで「ムンナーのガンジー流人生相談」をおっぱじめて人気を得るわでムーナーの人生が変わってしまうんです。つまらないチンピラだった彼自身がガンジーの言葉に感化され、自らの行動に「非暴力、不服従」を徹底させようするんですね。

これは同時に、「こんな時ガンジーだったらなんと言うだろう?」「こんな時ガンジーだったらどうするだろう?」ということを映画の中で再現しようとしていることでもあるんですね。つまり今ではインドですら名前だけになってしまったガンジーという偉人の考えと行動を、もう一度おさらいすることで再評価しようじゃないか、観客と一緒に考えてみようじゃないか、というのがこの物語なんですよ。そしてそのガンジーの教えを、ワルなマフィアが実践してしまうという落差にこの物語の面白さがあります。ムンナー演じるサンジャイ・ダットはインド俳優のなかでも相当怖い顔した人なんですが、そんな彼がジャンヴィに一途な恋をしてしまい、七転八倒のドタバタを演じながら真心を伝えようとする場面では、この怖い顔がキュートにみえてくるから不思議です!

しかし良いことばかりではありません。ムンナーはジャンヴィに出会った時、見栄を張って「自分は大学教授だ」と嘘をついており、その嘘がバレないようにさらに嘘を塗り固めます。「嘘に嘘を重ね続けることでにっちもさっちも行かなくなる展開」というのはインド・コメディでは割とお馴染みのものですが、ここではさらに「不誠実であってはならない」というガンジーの教えが彼を苦しめることになるのです。それと同時に、悪徳不動産がジャンヴィの家を奪い、ジャンヴィの家族とその友人の老人たちが路頭に迷ってしまいます。そこでムンナーは「非暴力、不服従」の戦いを繰り広げようとしますが、悪徳不動産屋は一筋縄ではいきません。今この現代に、ガンジーの教えがどこまで有効なのか。物語は様々なドラマを孕みながら、笑いと涙のクライマックスを迎えます。

実の所、ガンジーの説く「真正さ」が、ストレートに描かれ過ぎて、オレなんかは観ていてちょっと居心地の悪い部分があったことは否めません。いやあ、ちょっと汚れた大人なもんですから…。しかしインド映画を観ていると、こういった「真正さ」や「公正さ」を説く展開というのは意外と多く、「インド映画のお説教展開」なんて言う方もいるぐらいなんですが、ここにはインドの宗教的背景もあるのでしょう。インドの有名な聖典「バガヴァット・ギーター」がありますが、ガンジーは熱心なギーター実践者だったということを何かの本で読んだことがあります。「バガヴァット・ギーター」の根幹となる教えは「 執着することなく、常になすべき行動を遂行せよ。実に、執着なしに行為すれば、人は最高の存在に達する」というものですが、これなどはそのままガンジーの人生にあてはまるように感じます。そういった部分で、ガンジーその人を知る作品であると同時に、インド人たちがその根底に持つ心の在り方を知る作品になっているのではないかとも思うんです。

http://www.youtube.com/watch?v=pGw3K1E5e7U:movie:W620