最近ダラ観したDVDなど〜『LIFE!/ ライフ』『LEGOムービー』

■LIFE!/ ライフ (監督:ベン・スティラー 2013年アメリカ映画)


冴えない日常を送っていた男が、仕事で使わなければならない写真のネガを見つけるために冒険の旅に出る羽目になる、といった映画。監督・主演をコメディ俳優のベン・スティラーが務める。

観終わって、「見栄っ張りな男の話だなあ」と思った。主人公は妄想癖の強い男で、映画でもその妄想が派手なSFXで描かれるが、それはどれも「こうしたらカッコいいのに、自分の溜飲が下がるのに」といったものばかり。そう出来ない現実との対比ということなのだろうが、実の所単なる「ええカッコしい」にしか思えないのだ。

さらに主人公は「パートナー探しウェブサイト」の自己紹介に書くことが無い、と悩む。これが物語の経過を経てあれこれの冒険を経験することにより自己紹介欄が埋まってゆく、といった描かれ方をしているが、要するに「沢山冒険してハクの付いた自分」をアピールしているようにしか見えない。

しかしそもそも主人公がそれほどダメ人間として描かれているわけではない。彼は地味な人間なのかもしれないが、仕事はきちんとこなし、友人もおり、家族との関係も良好で、人間性も誠実に思える。ただ、それでは彼は満足できないのだろう。そして自己評価も低い人間なのだろう。だから「そうじゃない自分」を妄想し、「ステップアップしなきゃならない自分」という強迫観念に苛まれ、数々の冒険を通して「もう今まで通りじゃないない自分」を誇示しているのだろう。

それで主人公に自信が付き、以前よりも生き生きと生きられたのなら、「それはよかったですね」としか言いようがないのだが、結局それは「無い物ねだりをしたがる主人公の個人的な解決」としか感じることができず、結局「ま、かんけーねーな」で終わってしまう。そして「地味に生きているのはダメなことなのか?経験値が高いことだけが人間の価値なのか?」とすら思えてしまう。

主人公の勤めるフォトグラフ雑誌『LIFE』社のスローガンが「世界を見よう、危険でも立ち向かおう。それが人生の目的だから」で、この映画はそのスローガンを可視化したものなのかもしれないが、しかし物語の描かれ方はやはり主人公の個人的な問題と摩り替えられている。なんだか「自己啓発」とか「自分探し」とかの延長線にあるような映画だったなあ。


LEGOムービー (監督:フィル・ロードクリストファー・ミラー 2014年アメリカ/オーストラリア/デンマーク映画


レゴブロックにはそれほど興味はないが、レゴで作られた様々な世界を眺めるのは実際楽しいものだ。この映画はそんなレゴブロックで出来た世界の危機を、レゴで出来た登場人物たちが救う、という物語だ。

小さなブロックを積み上げ、どんなものだろうと形作るレゴの世界が、さらに命を持ったように自在に蠢くさまは実に目を見張らせる。きっとこの映画を観た誰もが「これはCGなのか、それとも本物のレゴを使ったストップモーション・アニメなのか」と思うことだろう。

実際の所CGだということなのだが、素材がシンプルなブロックだけに、逆によくあるCGアニメよりも妙にリアルにブロックで作られたもののように感じさせる。特に特殊なパーツを使用したものよりも、単純なブロックを使って形造られ、うねうねと形を変えて動く煙や海の水面のうねりなどは感嘆してしまった。

ただし物語には難がある。この映画は「形のあらかじめ決まったものを作るよりも、自由な発想で自由な造形を形作るほうが楽しいのだ」というレゴブロック遊びの基本を物語に反映させたかったのだろうが、それを物語として成り立たせることには失敗しているように感じた。

主人公はマニュアル通りの生活を至高として生きるあまりに平凡なレゴ青年だが、そんな彼がある日世界を救う「選ばれ者」として祀り上げられ、邪悪な存在との対決を余儀なくされるのだ。しかしなにしろこの主人公、本当に何の取柄も無い退屈な凡俗でしかなく、観ていて苛立ってくるのだ。

そんな主人公が転換を迎える契機となる理由が、「なぜなら平凡だから」というのも拍子抜けしてしまう。つまりこの主人公は平凡であることから少しも成長することなく「選ばれし者」として活躍してしまうのだ。それはそれで一つのアイロニーともとれるが、この作品はアイロニーを目指したものではないだろう。

主人公の作ったトンチンカンなアイテムが仲間を救うシーンがあっても、それは「たまたま」であってなにがしかの創造性の発露とは思えない。そもそも主人公に創造性が無いからこそ危機を脱出するシーンもあるではないか。映画がクライマックスで提示するテーマが自由な創造性であるにもかかわらず、凡俗な主人公には創造性が無い。そういったシナリオのちぐはぐさが気になる作品だった。