不思議な別れと出会い。危険な“霧”の大河に初めて橋を架けようとする人々の苦闘と絆―表題作を始め数々の賞に輝く11編を厳選。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞受賞作収録。
《創元海外SF叢書》、第1回配本の『旋舞の千年都市』が面白かったので第2回配本となったキジ・ジョンスンのSF短編集『霧に橋を架ける』を読んでみた。作者キジ・ジョンスンの作品を読むのはこれが初めて。でまあ、先に書いちゃうとオレにはちょっと合わなかったな。ちょっと観念的過ぎるし、妄想が妄想のまま完結していて地に足がついておらず、そこで起こるシチュエーションに対して湧き上がる情動が中心に描かれ、物語の理由付けが唐突で説得力が無い。女性作家だからなのかなあ。
収録作品はSF的な作品といわゆる「奇妙な味」的な文学寄りの作品が半々。 猿が舞台で消える、という演目をする女を描く「26モンキーズ、そして時の裂け目」は消えることの謎よりも猿との心の交流と喪失の寂しさばかりが描かれて奇想が奇想のまま終わっている感。「スパー」は宇宙船の事故により不定形の異星人と狭い救命艇に閉じ込められる女の話。女と異星人は密着したままいわゆる「ファック」している状態が延々と続く。どこかセックス忌避の臭いがする。「水の名前」は誰からともなく掛かってきた海の音がするだけの電話の話。これも雰囲気中心。「噛みつき猫」は不仲な親のいる子供が噛み付いてばかりいる猫を飼う、というお話。噛み付き猫はやるせない子供の攻撃心の暗喩なのだろうが、ドラマが足りない。
「シュレディンガーの娼館(キャットハウス)」はタイトル通り「シュレディンガーの猫」と「娼館(キャットハウス)」をかけたもので、その不確定性の娼館に閉じ込められた男の話。ここでもセックスが汚いもののように妙に客観的に描かれる。「蜜蜂の川の流れる先で」では大量の蜜蜂が川となって流れる様が描かれ、主人公の女はその川の上流を目指そうとするが、まず蜜蜂である必然性が感じられない。ラストは女の飼う病気の犬と生と死の秘密が関わってくるが、この設定も牽強付会。「ストーリー・キット」では一人の女性作家が古代ローマ叙事詩『アエネーイス』に登場する悲劇の女王ディドーと自らを重ね合わせる。女性作家には浮気のせいで離婚した旦那がいたらしいが、自分の心を代弁するのにいちいち古代ローマ叙事詩とか持ちだすような女だから男も鬱陶しかったんじゃないかと思うけどね。「ポニー」は架空の生物ボニーを巡る少女たちの確執を描くドラマ。少女の持つ意地悪で残酷な側面が実にシリアスに描かれて、これはこれで悪くないんだが、作者は苛められっ子だったのか…などと邪推してしまう。
タイトル作である中編『霧に橋を架ける』はどことも知れぬ惑星のどことも知れぬ土地が舞台。そこでは毒性を持ち人を襲う魚のいる霧が川となって二つの街を分かち、そしてその霧に橋を掛けようとある男がやってくる、というお話。タイトル作だから一抹の期待を掛けたがやっぱりこれもダメ。異様な「霧」の設定が最初にポンと投げ出されるだけで、あとはドラマらしいドラマが全く構築できていない。「橋を架けることの苦難」についての想定内のことしか起こらないのだ。だから異様な霧、という設定の必然性が無い。
ラスト「《変化》後のノース・パークで犬たちが進化させるトリックスターの物語」は動物が喋るようになっちゃった世界で、捨てられて行き場の無くなった飼い犬に主人公が助けの手を出す、というお話。これまでの作品も動物三昧だったし、多分作者は動物好きで、殺処分への抗議としてこんな作品が書かれたのだろうが、まずそれだけ捨て犬が増えたんなら行政がどうにかしなきゃならない話だし、さらに喋るとなると知的生物として扱わなけりゃならないから国家ぐるみできちんと考えなきゃならない事態の筈なんじゃないだろうか。それを犬大好き主人公は果敢にも一人でなんとかしようとするんだよな。個人的な問題に置き換えたいのは分かるが、結局問題を個人へと矮小化してはいないだろうか。
- 作者: キジ・ジョンスン,緒賀岳志,三角和代
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2014/05/30
- メディア: 単行本
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