■闇の国々 IV / ブノワ・ペータース, フランソワ・スクイテン, 古永真一, 原正人
ブノワ・ペータースとフランソワ・スクイテンによるBD、『闇の国々』日本語翻訳が今回の第4巻でとりあえずの完結を迎える事になった。『闇の国々』は架空の世界の架空の都市群を舞台に、そこで巻き起こる様々な謎めいた事件や現象を描いたものだが、何よりもフランソワ・スクイテンによる精緻極まる建造物の描写が目を奪う作品だった。架空の都市に屹立し都市全てを覆う高層建築、また、荒野に突如現れる異形の遺跡群は時代を超越した数多の様式が混沌として混じり合い、それ自体が迷宮のごとく存在した。これらを描く銅板画のように硬質な描線と幻惑的なデザイン、気の遠くなるような遠大なスケール感が何より魅力的な作品だったのだ。さらに、そこで暮らし、そして怪異に出会う人々は19世紀から20初頭を思わせる文化の中で生活しつつ、未知の科学技術がその中に応用され、それは過去と未来の混合したレトロ・フューチャーなテイストを表出させていた。
「都市とそれに翻弄される人々」を描いたこの『闇の国々』だが、描かれる都市こそがこの物語の主役であるのだろう、と自分などは感じていたのだけれど、原作者インタビューを読むとそれは断じて違う、この作品はあくまで人間性についての物語なんだ、と一蹴している。
『闇の国々』は建築と都市計画の問題を扱った作品だと、とかく言われがちなんですけど、そのたびフランソワと私はちょっとイラッとするんです。(中略)身体の問題は『闇の国々』の核心的なテーマなんです。アイデンティティの危機に陥ったり、不可思議な現象に見舞われたりといった個人のキャラクターの問題は、我々にとって都市というテーマと同じぐらい重要です。(ブノワ・ペーターズ )
ペーターズ&スクイテン インタビュー (『闇の国々III』収録)
グラフィックにばかり目の行っていた自分には痛い発言だったが、これは地層のように折り重なった歴史的建造物の中で「今」を生きているヨーロッパ人である作者にとってあたりまえの感覚なのかもしれない。つまり、旧く重々しい歴史的な建築物と共に生きることは日常であり、それを架空の都市の如く幻視したこの物語でも、建築物それ自体は実はヨーロッパ人の日常感覚の延長なのだ、ということであり、むしろそこで引き起こされる物語にこそ目を向けてほしい、ということなのだ。言うなればヨーロッパ人というのは8割の過去の中で2割の未来を見ながら生きている存在である、と定義することもできるが、その8割の過去に引き摺られた2割の未来の不安と不可思議さが、この『闇の物語』の物語なのだろう。そういった部分で、『闇の国々』はヨーロッパ人的なアイデンティティが非常に匂い立つ物語であると言えるのだ。
さてこの4巻に収められた作品は大まかに分けて3作。1作目『アルミリアへの道』はある使命を帯びた飛行船が、「闇の国々」の都市が点在する大陸を横断し、そこで様々な謎めいた光景を目撃する、といった絵物語だ。これまでの巻で登場した都市群とまた相まみえることができる、といった部分もうれしい一作だ。そしてその枝篇として登場する3編が『闇の国々』第1巻収録の作品「傾いた少女」をリメイクした『傾いたメリー』、少女の夢を優しくおぼろげに描いた幻想譚『月の馬』、さらにおとぎ話の長閑さを湛えた『真珠』。この枝篇3篇はもともと絵本用に制作された作品ということで、本編『闇の国々』とは趣を異にする柔らかく穏やかな色彩と描線で描かれていて異色さを感じさせる。
続く『永遠の現在の記録』は死に絶えた都市の時間の止まったような"永遠の現在"で生きる少年を主人公とした物語。もともとこの作品はベルギーの映像作家ラウル・セルヴェの映画『タクサンドリア』のために構想されたものだったのだが、映画作品自体は様々な紆余曲折が負担となり失敗だったらしく、そこで物語シナリオをコミックとして再構成したものであるという。描かれる建造物のタッチも従来の『闇の国々』のものとはやはり異なっていて、シュルレアリスム画家ポール・デルヴォーやジョルジョ・デ・キリコの影響を濃厚に感じさせる妖しく非現実的な世界が描かれている。
最後を締めくくるのは『砂粒の理論』。都市ブリュゼルを訪れた異郷の男が遺したある品物が、この街に異様な災厄と危機を招き込む、といった作品で、成人した「傾いた少女」メアリーが主要人物として登場している。執筆年がこれまでの『闇の国々』シリーズで最も新しい2008年ということもあって、『闇の国々』の集大成的な作品として完成しており、これまでの作品に登場した様々な都市やモチーフが散りばめられ、この長大な物語を読み進めてきた者にとってはまさにご褒美のような作品だ。作品の構成も濃厚かつ緻密であり、豊潤たる『闇の国々』最期の物語を堪能できるだろう。
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