カメラ・オブスクラとしての『ヒューゴの不思議な発明』

ヒューゴの不思議な発明 (監督:マーティン・スコセッシ 2011年アメリカ・イギリス映画)

  • マーティン・スコセッシ監督の新作映画『ヒューゴの不思議な発明』は1930年代のパリを舞台に、駅の時計台に隠れ住む孤児の少年が、父から遺された機械人形の秘密を一人の少女と共に解き明かしてゆく冒険ファンタジーです。
  • 冒険ファンタジーとは書きましたが、ファンタジックな映像こそ展開され、超自然的な物語が語られるわけではありません。この物語は、【映画】というファンタジーそのものについての自己言及的な映画であるということができます。それは映画の合間合間に観ることのできる様々な古典映画の実際の映像であったり、そのオマージュともいえる映像の挿入であったりする部分から分かるでしょう。そして物語を追うに連れ正体が明かされる、ジョルジュ・メリエスの隠遁後の姿と彼の送った半生についての物語がそれを象徴しています。
  • それと同時に、監督マーティン・スコセッシの、【映画】という表現ジャンルへのラブレターとでも言える作品へと仕上がっています。
  • 面白いのは、主人公の少年が暮らす、駅時計台の裏側の世界でしょう。巨大な歯車があちこちで動き回り、一つの機構として運動するその様は、時計台の歯車というよりは、この世界を裏側から動かしている巨大なメカニズムそのもののようにすら見えます。
  • 少年はいつもこの裏側の"暗い部屋"から世界を覗き見ます。この描写それ自体に、写真術発明に重要な役割を果たした装置、「カメラ・オブスクラ」="暗い部屋"の暗喩が見て取れます。
  • つまり一つの解釈として、主人公少年は常にカメラの向こうから世界を覗き込んでいた、ということも出来るわけです。
  • そしてそんな世界の裏側では歯車が常に動き、世界の秩序を作り出している。
  • カメラの向こう側から世界を覗き込む者、それはカメラマンであり、そして、映画を監督し、映画という一つの世界を表出させる者でもあります。そして世界の秩序を作り出す機構とは、一つの世界を構成し形作るための想像力であるともいえます。
  • この映画で主人公は、様々な冒険の末、特撮映画の功労者とも言えるジョルジュ・メリエスの正体に肉薄し、あまつさえ、失意にあった彼の人生さえ救います。
  • 主人公=カメラの後ろから映画を作り出す者、と捉えるなら、この映画作品は、ジョルジュ・メリエスを救い出す為に創出されたものであるともいえるのです。
  • つまりこの映画は、映画愛についての物語であるのと同時に、映画という方法論によって、一人の映画人の人生を救う、という物語でもあったのです。
  • ただ映画としてみると精緻を極めたダイナミックなCGIが存分に楽しめる反面、物語としては少々主題のブレを感じる上に映像美に打ち勝つようなストーリーテリングが存在しないような気がしました。