終わりなき熱狂と狂躁のラプソディー〜映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』

ウルフ・オブ・ウォールストリート (監督:マーティン・スコセッシ 2013年アメリカ映画)


ウルフ・オブ・ウォールストリート』は、学歴もコネもないまま若くして証券会社を設立し、口八丁手八丁で年収49億円を稼ぎ出しながら、その荒っぽい商売によりFBIに逮捕され失墜した、ジョーダン・ベルフォートという男の半生を描く作品である。そこで描かれるのはカネまみれ・オンナまみれ・ドラッグまみれという、アメリカン・ドリームの裏側に存在する悪性腫瘍の如き病根だ。スコセッシ監督はそれをどこまでもねちっこい演出とグロテスクなユーモアを交え、3時間に渡る長丁場によって描ききる。主演はレオナルド・ディカプリオ、彼の持ち前であるカリスマ的魅力は、「ウォール街の狼」ジョーダン・ベルフォートのたがの外れたような人生を、デモーニッシュなまでに体現し尽す。

物語はとことん下衆であり、気違いじみており、それと同時に、甘く危険な法悦に満ちている。ここで描かれるのは、強大なパワーと莫大なカネと止まる所を知らない欲望に操られ、着弾地点を見失ったまま大気圏外を邁進するICBMのように破滅へとひた走る男の生き様である。だが、スコセッシがこの作品で描こうとしたのは、欲望に囚われた男のデカダンスではない。盛者必衰のアイロニー、社会悪を糾弾するモラリズムでもない。歪んだ資本主義の果てのカリカチュア、アメリカ史の暗部を記述するジャーナリズムでもない。確かにそれらの要素はこの物語に存在するだろう。しかし映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の本質はそこではない。この映画の本質、それはぐつぐつと煮え立ち、暗く赤々と燃え盛る【熱狂】と【狂躁】なのである。

主人公とその側近たちは、違法きわまる商売の果てに、莫大なカネとより取り見取りのセックスと有り余るドラッグを手に入れる。そして手に入れてなお、より多くの、より潤沢なカネとセックスとドラッグを求め止まない。しかしその止めを知らぬ欲望の中心にあるものは、利得と消費なのではなく、どこまでも求め続けそれがどこまでも得られ続けることの、永久運動の如き終わりなき悦楽であり、その悦楽が果てしなく高まり続けてゆくことの【熱狂】であり【狂躁】なのだ。インフレーションを起こしたハイテンション、その【熱狂】と【狂躁】を生み出すものが、イリーガルでアンモラルだからこそ、さらに止めを知らぬものとなってゆくのだ。

映画では悪疫の如き欲望に取り付かれた男たちの狂奔と狂態がこれでもかとばかりに描かれる。しかし常識的に考えるなら醜悪でしかないこれらの描写に、観る者もまた巻き込まれ、いつしか洪水のように奔出するカネとモノとセックスとドラッグに、登場人物たちと同じように酩酊させられてしまっていることに気づかされるのだ。これはまさにスコセッシらしい演出話法の見事さと言わざるを得ない。物語は主人公ジョーダン・ベルフォートがその全ての帝国を失うことで幕を閉じるが、しかしそれは物語には終わりがなければならず、また主人公の末路を史実どおり描いただけのことであり、実際にはこの作品は、「終わりなき熱狂と狂躁」をただただひたすら堪能することにこそに魅力があるのだ。3時間という長丁場はその為に用意された装置であるということもできるだろう。映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は、イリーガルとアンモラルの果てに醸し出される、「終わりなき熱狂と狂躁」を描いたラプソディーだったのである。


The Wolf of Wall Street (Soundtrack)

The Wolf of Wall Street (Soundtrack)

ウルフ・オブ・ウォールストリート 上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ウルフ・オブ・ウォールストリート 上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ウルフ・オブ・ウォールストリート 下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ウルフ・オブ・ウォールストリート 下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)