ダシール・ハメット3冊読んだ

10代の頃はSF小説ばかり読んでいたものだが、高校の高学年ぐらいになってくると段々それも飽きてきて、もっと別の小説を読みたくなってきたのだ。そのとき手を出したのがハードボイルド小説である。他にもいろいろ小説ジャンルはあるだろうになんでハードボイルドだっかというと、単にハードボイルドを読んでいるのって格好良いんじゃないかと思ったからである。あと当時よく読んでいた平井和正がどこかで言及していたのを覚えていたからかもしれない。
もともとオレはミステリが苦手で、人気のある作品を読んでみても最初の数ページで退屈になり投げ出していたのだが、意外とハードボイルド小説は面白く読めた。というかハマった。読んだのはもちろんレイモンド・チャンドラー、そしてロス・マクドナルド。しかしハードボイルドならこの人、と言っていいダシール・ハメットに関しては何故か好きになれずにその作品を読むことは無かったのだ。
ダシール・ハメットの何が駄目だったのか?というと多分そのマッチョさゆえだったからかもしれない。例えばオレは端正な文章のチャンドラーよりウェットで女性的なマクドナルドの作品のほうが好みだった。そしてどちらの作家からも感じるアイロニーやセンチメンタリズムがオレは好きだったが、ハメットはそれとは全く異質な、どちらかというと暴力的な臭いがし、それが苦手だったのだ。まあ結局好みの問題なのだが、10代の少年が至りやすいナイーブさというものに(まあ自分で書いていて恥ずかしいものがあるが)、ハメットの小説はフィットしなかったということなのだろう。
そんなハメットに50に手が届きそうな今もう一度チャレンジしたのだから不思議なものである。なんで今?かというと、ついこの間までランズデールのハップとレナードシリーズを集中して読んでいたら楽しかったので、一辺このあたりのミステリをおさらいする気になったからなのだ。チャンドラーもマクドナルドも長編は全て読んでいるし、じゃあハメットに数10年ぶりにリベンジしてみようか、と思ったというわけなのである。といわけで『マルタの鷹』『血の収穫』『デイン家の呪い』の順でハメット初期作品を読んでみたのだが、これが思った以上に楽しむことが出来た。10代の子供の頃には伝わらなかったものが歳を経た今なら伝わる、というのも面白いものだ。それぞれざっと感想を書いてみよう。

■血の収穫

血の収穫 (創元推理文庫 130-1)

血の収穫 (創元推理文庫 130-1)

コンティネンタル探偵社支局員のおれは、小切手を同封した事件依頼の手紙を受けとって、ある鉱山町に出かけたが、入れちがいに依頼人が銃殺された。利権と汚職とギャングのなわばり争い、町はぶきみな殺人の修羅場と化した。その中を、非情で利己的なおれが走りまわる。リアルな性格描写、簡潔な話法で名高いハードボイルドの先駆的名作。

「ハードボイルドの先駆的名作」と謳われたダシール・ハメットの処女長編だが、自分の中のハードボイルド観と大きく異なるその展開に驚いた。物語全体を通してまるでマフィア映画でも観せられているかのように派手な銃撃戦が繰り広げられるのだ!当然登場人物たちは次々に死んでゆく!確かに主人公がマッチョなのは大昔からのイメージと変わりはないが、さらにその性格は冷徹で酷薄、オレのハードボイルド観にあったアイロニーだのセンチメンタリズムだのが入る余地などこれっぽっちもない!そうか、この非情さがハードボイルドだったのか!と改めて気付かされた作品だった。ちなみに早川から『赤い収穫』というタイトルに変更された新訳版が出ているが、馴染み深さからこちらの創元版を読んだ。翻訳で使われる語句や言い回しは結構古めかしいので覚悟が必要。

■デイン家の呪い

デイン家の呪い(新訳版)

デイン家の呪い(新訳版)

コンチネンタル探偵社の調査員の私は、科学者のエドガー・レゲット邸で起きたダイヤモンド盗難事件をきっかけに、博士の娘ゲイブリエルと知り合う。麻薬に溺れ、怪しげな宗教に傾倒する彼女を私は救おうとするが、その周辺では関係者の自殺や謎の死など怪事件が次々と…果たして一族に伝わる恐るべき呪いなのか?ハードボイルドの巨匠による異色作、半世紀ぶりに新訳なる!ハメット研究の第一人者による待望の訳業。

ハメットの長編2作目。一人の女の関係者が次々と死んでゆく。その謎を主人公の探偵が追っていくわけだが、処女作『血の収穫』と同じ主人公とは思えないごく普通に探偵小説した展開にまたもやびっくりした。ある意味ハードボイルドとさえも言えないかもしれない。連続殺人と不審死の謎を解く物語は決して退屈はしないが、しかしこのぐらいのクオリティの作品ならミステリ界に溢れかえっているのではないか?などとミステリを読まないくせにちょっと思ってしまう。だが、1作目とまるで違う展開やキャラ設定がされたこの物語は、ハメット自身が様々なテイストの作品にチャレンジしてみたいという意欲から書かれたものだったのではないか。そう考えるなら、作家ハメットを知るうけで重要な作品と言えるかもしれない。

■マルタの鷹

マルタの鷹 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

マルタの鷹 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ワンダリーと名乗る女が、サム・スペードの事務所を訪ねてきた。妹の駆け落ち相手サーズビーを尾行して、妹の居所をつきとめてほしいという。だが、依頼人の謎めいた美しさと法外の報酬につられてその仕事をかってでたスペードの相棒は何者かに撃たれ、その直後サーズビーも射殺された。サーズビー殺しの嫌疑をかけられたスペードに、ミス・ワンダリーは、わけも言わずただ助けてほしいと哀願するのだが…。黄金の鷹像をめぐる金と欲の争いに巻き込まれたスペードの非情な行動を描く、ハードボイルド探偵小説の始祖の不朽の名作、新訳決定版。

『マルタの鷹』といえばもはやミステリ・ファンなら知らないものなどいない、といった超の付く有名作だろう。そして映画ファンなら、たとえ観たことが無くともハンフリー・ボガードが主人公サム・スペードを演じたあの作品だ、ぐらいのことは知っているだろう(実はオレも映画観てません…)。上記2作と趣を変え、探偵社に務める調査員から一匹狼の探偵に、そして三人称から一人称の語り口となり、この『マルタの鷹』こそがハードボイルド小説の出発点だったことをうかがわせる。この物語は”マルタの鷹”と呼ばれる謎の財宝を巡る陰謀と欲望の物語であると同時に、一人の狡猾な悪女を描いた物語でもあるのだ。主人公サム・スペードはやはりどこまでも非情であり、そして獰猛ですらある。情緒性を一切排した端正で冷淡な文章で書かれたこの物語は、アメリカの代表的な文学叢書百選にも選ばれているという(そしてその中にはチャンドラーは含まれていない)。凶暴でマッチョなヒーロー、豊艶で危険な美女、そして暴力に彩られたストーリー。即ちこの物語は、現代のヒロイック・ファンタジーだとも言えるのではないだろうか。