サイバーパンク+ハードボイルド+近未来イスラーム世界SF『重力が衰えるとき』

■重力が衰えるとき/ジョージ・アレック・エフィンジャー

重力が衰えるとき (ハヤカワ文庫SF)

おれの名はマリード。アラブの犯罪都市ブーダイーンの一匹狼。小づかい稼ぎに探偵仕事も引きうける。今日もロシア人の男から、行方不明の息子を捜せという依頼。それなのに、依頼人が目の前で撃ち殺されちまった!おまけになじみの性転換娼婦の失踪をきっかけに、血まなぐさい風が吹いてきた。街の秩序を脅かす犯人をつかまえなければ、おれも死人の仲間入りか。顔役に命じられて調査に乗りだしたものの、脳みそを改造した敵は、あっさりしっぽを出しちゃくれない。…実力派作家が近未来イスラーム世界を舞台に描く電脳ハードボイルドSF。

オレは「サイバーパンク」と聞くとなぜか敏感に反応して舌なめずりしてしまうサイバーパンク信者の一人ではある。好きだったなあウィリアム・ギブソンブルース・スターリング。そもそもオレのはてなIDである"globalhead"はブルース・スターリングの短編集から採ったぐらいだ。

とはいえサイバーパンクというのは80年代に流行ったSFサブジャンルで、今やそのまんまサイバーパンクSF小説なんで書かれていないんだろうな。むしろポスト・サイバーパンクなんてジャンルまであるのらしい。要するに既に流行から40年近く経っちゃってる古いジャンルであるということだ。

ジョージ・アレック・エフィンジャーによるサイバーパンクSF小説『重力が衰えるとき』は1987年に書かれ、1989年に早川書房から訳出されている。だからやはりちょっと古いSF本だ。刊行された当時は読もうか読むまいか迷ったが結局本を買うことを無かった。でもなんとなく気になっていて、今回やっと古本で入手し読んでみた。古いんで実は表紙もブログTOPの書影と違ったりする。

この小説のウリというかポイントになるのはサイバーパンクSFであるのと同時に近未来イスラーム世界を舞台にしているという部分だ。近未来イスラーム世界が舞台のSF小説というとイアン・マクドナルドの『旋舞の千年都市』、G・ウィロー・ウィルソン 『無限の書』あたりを思い出すが、実はこれらもサイバーパンク的な電脳小説なんだよね。イスラームと電脳、この組み合わせってちょっとワクワクするものがありません?そういう部分もあって読んでみようと思ったんですよ。

物語はというとなにしろ架空の近未来イスラーム国を舞台に一匹狼探偵マリードがヤヴァイ仕事を請け負っちゃう、というものだ。マリードの目の前には次々に死体の山が築かれ、自らも生命を脅かされ、それによりマリードは自らの電脳化を決意する、というもの。物語はたいてい怪しげな飲み屋や風俗店が中心となり、水商売の女や娼婦、ポンビキや裏世界のドンが跋扈する世界がこの物語だ。

サイバーパンクなんて単なる風俗小説だ」と喝破したのは日本のSF作家高千穂遥だが、確かにこの『重力が衰えるとき』は物語のほぼ半分ぐらいが怪しげな裏世界の風俗描写で費やされているように思う。風俗描写が5割だとすると探偵物語が3割、あとの2割がイスラーム世界描写と電脳描写だ。だからハードボイルドな味わいの裏社会描写は長々と描かれるのだけれど、サイバーパンク小説以前にSF小説味が薄いし、イスラーム世界描写もなんだか付け足しのようにも感じる。主人公が電脳化しやっとSFぽくなるのは物語が半分も過ぎたあたりくらいだ。

とはいえ退屈したのかというとむしろ逆で、汚濁に塗れた街とそこをうろつき回るちょっとだらしない主人公の行動にずっと魅了させられていた。負け犬ばかりがひしめく裏世界、饐えた臭いの漂うエキセントリックな登場人物たち、金と暴力であらゆるものの上に君臨する裏世界のドンなど、雰囲気がたっぷりなのだ。

主人公はその中で、事件を解決したいのかしたくないのかはっきりしないまま酒と麻薬に溺れ続け、思い出した頃にやっとこさ行動する。しょーもないっちゃあしょーもないんだが、この薄汚れた世界とセコい主人公の描写が何故か心地いい。そしてやっとサイバーパンクSFらしくなる後半ではあれやこれやで満身創痍になった主人公がようやく事件の真相に肉薄し、異様な真実にぶち当たるというわけだ。

というわけでこの『重力が衰えるとき』、最先端のとんがったSF小説を読みたいと思ってる人には退屈かもしれないが、サイバーパンクとハードボイルドのダルい雰囲気をまったり味わいたいと思う方にはそこそこ楽しめるんじゃないかな。この作品はこの後シリーズ化され、『太陽の炎』『電脳砂漠』と続く3部作になっているのらしい。ちなみに今作のタイトル「重力が衰えるとき」というのは常ならぬことが起こるといった意味合いだそうで、重力が使命を持ったりムカデ型異星人が登場したりはしないし当然ハードSF展開など微塵も無いので念のため。

重力が衰えるとき (ハヤカワ文庫SF)

重力が衰えるとき (ハヤカワ文庫SF)