■カティンの森 (監督:アンジェイ・ワイダ 2007年ポーランド映画)
第2次世界大戦の勃発した1939年。ポーランドはドイツ・ソ連両国に侵攻され分割占領されてしまう。開戦の混乱の中不安に駆られたアンナは、夫であるポーランド将校アンジェイを探しに行くも、夫を含むポーランド軍人らは収容所へ送られていく最中だった。時が経ち1943年。独ソ不可侵条約は破られ、ドイツとソ連は戦闘状態に入るが、ドイツ軍は元ソ連領のカティンの森付近で一万数千人に及ぶポーランド将校の虐殺死体を発見する。アンナはそこに、自らの夫の死体もあると聞かされるが、決して信じることができなかった…。史実を元に歴史に引き裂かれていくポーランド国民の姿を描く戦争ドラマ。アンジェイ・ワイダ監督作品。
「カティンの森」事件は何故起こったのか。それはポーランドを占領したソ連が、軍人ほか官吏・聖職者などのインテリ層を抹殺する事によりポーランドを国家単位で骨抜きにする目的があったからだという。当初ドイツはソ連の仕業であると糾弾したが(ゲッペルスの命令で赤十字社が派遣された、というのが妙に皮肉だ)、ソ連はそれを否定、逆にドイツにその罪をなすりつけた。そして終戦を迎え、ソ連は公に敗戦国ドイツの仕業であると言明し、ソ連の属国となってしまったポーランド国民にそれを押し付けた。ポーランド国民たちはそれをソ連の所業であると知りつつ、それを口にすることも、抗議する事も、全て厳しく禁じられていた。この事件の責任をソ連が認めたのは冷戦終結後の1990年代であったという。
物語は最初捕虜になった夫の帰りを待つ妻アンナの視点から語られるが、物語が進むにつれ「カティンの森」事件により家族や同僚を失った複数の人々の物語へと変化してゆく。唐突に映画に登場しそれぞれの悲嘆や怒り、罪悪感を語る彼らの存在は映画作品の流れから観ると戸惑わされるものがあるが、事件に対する数々の証言や記録からこの映画を構成していったワイダ監督にとって、それは構成を破綻させてでも盛り込まなければならなかった"血で書かれた言葉"であったのだろう。実際にワイダ監督も自らの父親をカティンの森で亡くしており、この映画を完成させ「カティンの森」事件の全容を描ききることは悲願だったのだろう。
そしてこの物語は「カティンの森」事件の経緯を描くのと同時に、隠蔽され圧殺されようとしているこの事件の記憶を頑なに留めようとするポーランド人たちの抵抗の物語でもある。映画ではソ連当局の命令を拒み逮捕、投獄される人々の姿も描かれている。ただ息を殺し命令に従って平穏に生きることだけを彼らは望んでいない。なぜなら「カティンの森」事件を忘れることは彼らにとってのアイデンティティを放棄することと一緒だからだ。ヨーロッパ史の中で常に大国の思惑に蹂躪され分割統合され続けてきたポーランド国民にとって、「自分たちとは誰なのか?誰によって虐げられてきたのか?」を常に明確にし続けなければ、国家として、国民としてのアイデンティティを保つことができなかったのに違いない。
そしてラスト、全てのドラマが収斂し、「その時、カティンの森で何が行われていたのか」が初めて描かれることになる。それはあまりに惨たらしい"虐殺工場"の一部始終だ。まるで畜舎から運ばれ屠殺されてゆく家畜のように、全てが機械的に計画的に一人一人後頭部に弾丸を撃ち込まれ穴の中に落とされてゆくポーランド人将校たちの姿。その映像はどこまでも無慈悲で深い絶望に満ちている。第2次世界大戦時のドイツ帝国はユダヤ人大量虐殺で悪名を馳せたが、スターリン政権下のソ連は実はそれを上回る虐殺と謀殺と粛清の嵐が渦巻く国家であった。歴史の中の暴虐を知る上でも興味深い作品であるといえるだろう。