ホビットの冒険 / J・R・R・トールキン

ホビットの冒険

ホビットの冒険

言わずと知れた『指輪物語』の前日譚である。『指輪物語』の50年ほど前の物語になるのらしいが、大人向けのファンタジーであった『指輪物語』に対しこちらは児童文学として書かれた物語であるのらしい。その為か、心のすっかり穢れきったオッサンであるこのオレが今読むと、正直中盤あたりまでは少々ダルく感じてしまったことは否めない。『指輪物語』でいうと「旅の仲間」あたりのダルさね。やっぱりイギリスは基本が牧歌的なんだねえ。いやあファンタジー小説の歴史的名作に対してこんなこと言って申し訳ない。
しかし、「しんどい旅を続けて最後にドラゴン倒して宝物手に入れてウハウハーってな物語なんだろ?」などとナメてかかっていたら後半ガツンと来た。そもそも旅の目的はドラゴン征伐と財宝の奪還だったのだが、実は本当の物語はドラゴンを倒してから始まるのだ。宝の本当の所有者は誰なのか?誰が宝を手にするべきなのか?登場する様々な人間・亜人種族の思惑がここに加わり、政治的な様相を呈し始めるのである。
そして様々な種族が乱れあっての「五軍の戦(いくさ)」がここに繰り広げられることになるのだが、この「五軍の戦」の描写が息を呑む壮絶さに満ちているのだ。『指輪物語』の最後の戦いほどではないとしても、いくさの描写になると生き生きしてくるトールキンの筆致を鑑みると、結構トールキンというのは、男の子が所謂「戦争モノ」のフィクションに胸躍らされるように、熾烈な戦闘のドラマに嬉々として昂奮する人だったのではないか、などとちょっと勘繰ってしまった。
この「牧歌的なオープニング」「長く苦難に満ちた旅」「邪悪な敵」「旅の途中で出会う仲間たち」「最後の大戦争」というプロットは、そのまま『指輪物語』のミニチュア版といっていいような構造を成していて、案外『指輪物語』というのはこの『ホビットの冒険』の豪華拡大版なんだと言う事もできるのかもしれない。
物語には次作『指輪物語』へと繋がる様々な人物、アイテム、伝説などを散見することが出来て、ファンにとってはこれを見つけて楽しむことも一興だろう。そしてやはり、『指輪物語』と同様、この『ホビットの冒険』でも一種異様な存在感を醸し出しているのは、異形の存在「ゴクリ」であることに間違いない。
分かりやすい善悪の対比で描かれた"指輪物語サーガ"の中で、ゴクリだけは善でも悪でも無い限りなくグレイゾーンの存在なのだ。俗世を離れた勧善懲悪のファンタジー世界の中で、不気味な姿を持つゴクリだけが妙にリアルに思えてしまうのは、混乱と逡巡と自己欺瞞の中で引き裂かれるその姿が、この物語を読む現代人の姿そのものに見えてしまうからなのではないだろうか。
それと、瀬田貞二氏の訳文が何しろ素晴らしい。独特の言い回しとリズムに満ちたその文章には、時折古語めいた読み慣れない言葉が散りばめられていたりするのだが、それが少しの無理も無くいい雰囲気を醸し出しているのだ。児童が多く読むであろうこの物語に、児童には難しい言葉を使用するのは決して間違いではないと思う。
子供たちは最初その意味がわからないだろう。しかし子供たちは繰り返しこの物語を読み、その意味するところを少しずつ導き出していくだろう。それが言葉に対する興味と言う事だ。正しい言葉、美しい言葉なんぞという押し付けがましく陳腐極まりない論議にはうんざりさせられるが、「この言葉は何なのだろう」と不思議に思い興味を覚えることが最初なんじゃないか。瀬田貞二氏の訳文からはそういった示唆を感じた。
ギレルモ・デル・トロ監督による映画化も進んでいるそうで、2部作として製作されるらしく、全米公開は2011年と2012年を予定しているという。しかも第1部は原作通りだが、第2部はオリジナル・ストーリーになる、という話もある。