輝くもの天より墜ち / ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

ティプトリーという作家
自分の中でSF界で最も重要な作家といえば誰だろう、と考えるなら、スタニスワフ・レムフィリップ・K・ディックの名前がすかさず出てくる。そしてもう一人名前を出すとするなら、それはジェイムズ・ティプトリー・ジュニアそのひとである。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアはアフリカで生活していた時期があったり、CIAに勤務していたりと、ユニークな生い立ちを持ち、さらにアルツハイマーで余命幾ばくもない夫を射殺し、自らも死を選ぶという壮絶な最期を遂げた事でも知られるが、SF界ではそのペンネームからも分かる様に永らく男性として認知されていた時期があった。当時「このようなSFは男にしか書けない」とまで言われていたティプトリーが女性だと分かった時の周囲の衝撃は相当のものであったいう。だが性別が分かってから言うのも卑怯であるが、ある意味ティプトリーSF小説は女性にしか書けないものだったという気がオレなんかはしてしまう。それは優しさだの細やかさだの、男が女に勝手に押し付けているありていなイメージからではない。ティプトリーの小説は残酷で冷徹だ。そして彼女の傑作短編の幾つかはジェンダーとセックスをテーマにしているが、それらは一片の希望も無いほどどこまでも突き放された視点から描かれているのである。男には、ことセックスに関して、ここまで突き放して描く事はほぼ不可能なのではないか。

■輝くもの天より墜ち
この『輝くもの天より墜ち』は、これまで中短編の紹介のみだったティプトリーの、初の長編翻訳作品となる。銀河辺境の惑星ダミエム、ここでは今、《最終戦争》によって破壊された星系・”殺された星”からのノヴァフレアを観測する事が出来た。その天空を彩る光の踊りを観るために、この惑星に幾人かの旅行者達が降り立つ。旅行者達を迎え入れたダミエムの管理官は、かつてこの惑星で起こった忌まわしい虐殺事件を語り始める。そして天空のショウが始まるその夜、恐ろしい事件が起こり…というお話。辺境星系、エイリアン、宇宙戦争といったSF設定の中で古典的ミステリを思わせる物語が展開する、といったところがこの作品のポイントか。長編ということもあってか、ティプトリー中短編で見られる鋭利で冷徹な視線は後退し、アクションや心理的葛藤・駆け引きなどが中心に描かれ、最後にほろりとさせるという、そつのないエンターティンメントSFに仕上がっている。ただ物語の背後にある、”殺された星”の破壊された原因や、異星人大量虐殺事件の真実には、やはりティプトリー流のヘヴィーな残酷さを感じさせる。

しかし、なによりこの物語を面白くさせているのは、個性的で生き生きとした登場人物たちの描写だ。本当に目の前で息づいているかのようにさえ感じさせるその筆致は、ティプトリーの作家としての力量の程をうかがわせるだろう。後半からの二転三転、次から次へと状況が変わる物語展開も、「ティプトリーってこんな作家だったのか?」といい意味で裏切られるほど小気味いい。短編ほどの重厚さは無いのだが、十分楽しめる作品に仕上がっている。過去に軍事力まで介入した事件があった割には警備の手薄な惑星管理や、”時間揺動”なるちょっと便利すぎるSF設定でとある危機を脱したりとか、甘い部分も無きにしも非ずだが、ティプトリーがこの作品を楽しんで書いたであろうことは伝わってくる。

■物語の背景となるもの
オレはこの作品が、ティプトリーがかつて暮らしていたアフリカでの生活から着想を得たものだ思えてならない。それは、辺境の惑星そのものがアフリカを思わせるのと、そこに住むダミエム人たちというのが、やはりティプトリーがアフリカで出会った現地人たちを元にしているような気がしたこと、そして惑星ダミエムでの虐殺事件が、白人達が奴隷という形で虐待したアフリカ黒人達の歴史をなぞったものだと思えたことからだ。さらにこの惑星ダミエムに作られた人類の居留施設はティプトリーが幼少の頃過ごしたコテージを模したものであるという事から考えると、この作品自体が、ティプトリー自身の歴史を振り返ったものなのだということも出来はしないか。すると主人公となる夫婦はティプトリーの両親か、はたまた彼女自身とその伴侶だったのか。どちらにしろ、この作品の延び延びとした感触から、ティプトリーがかつて自分の体験したことや見てきたものを織り交ぜた、どこか甘酸っぱい思い出のこもった作品だったのではないか(資料なしで書いているので確かなことは言えないんだけど)。

もうひとつ、この物語で奇妙だったのは15歳前後という4人の”キッド・ポルノ・スター”なる少年少女の存在である。いわば銀河の未成年ポルノ俳優ということなのだけれど、現代的に考えると恐ろしくアンモラルな存在であり、その設定がこの作品にどうしても無くてはならなかったものとは思えない。作品では彼らは周囲から好意的に受け入れられ、作品世界におけるモラルの在り方が現代とは違うことを窺わせるが、ティプトリーは何故彼らをこの作品に存在させたのか。短編作品においてジェンダーとセックスをテーマにし続けてきたティプトリーにとって、この長編においても性という名のエキセントリックさを挿入するということは自明のことであったのかもしれないが、その明確な理由を詳らかにするには、ティプトリーという作家をもう少し研究する必要があるような気がする。そもそも何故ティプトリーにとってジェンダーとセックスが重要なテーマであったのかということを考える上で。そういった意味でティプトリーが実にユニークな作家であったのは確かだ。返す返す亡くなられた事が悔やまれてならない。