フルーツ / 木葉功一

フルーツ (IKKI COMICS)

フルーツ (IKKI COMICS)

「キリコ」「クリオの男」で熱狂的なファンを持つ(オレのことだ!)木葉功一の新作短編集。


「桃」「柿山」「CHERRY」…とフルーツの名前の付いた女たちを巡る物語なのだが、その内容はというと「フルーツ」なんてスイートなタイトルを蹴飛ばして踏みにじって唾吐きかけるような血と殺戮と死に塗れたルサンチマンの物語なのである。何しろ主人公の女たちは暗殺者、亡霊、吸血鬼、娼婦、バットを振り回す心臓病の少女…と、地獄の釜の中を覗いたことのあるような女ばかりなのだ。しかしどの物語もその陰惨さとは裏腹の、一途の眩いリリシズムがその作品を貫いているのだよ。決して暗澹としてじめついた作品なんかでは無い。そこがいい。


そしてその光芒は、「明日は強く生きよう」とかいう現世的な自己肯定でさえない。彼女達にあるのはただただ”サバイヴ”に全てを賭ける、殆ど動物じみた”生”への徹底的な執着なのだ。だから木葉功一の描く女はどれもケダモノじみている、それも血に飢えた肉食獣のそれだ。”かわいい”でも”きれい”でもない、己の生の衝動に徹底的に忠実であること、”ケダモノ”として正しくあること、それが彼女達の存在の第一義なのだ。だからこそ、木葉の描く女は輝くように美しい。


木葉功一の作品に共通しているものは、絵にしろストーリーにしろ、もう情念だけで描いてるとしか思えないドロドロギラギラした世界なのだが、それは現実社会の何かに仮託したり描写したりというのははなから放棄され、その舞台がどこであろうとただもう呪術的・魔術的な世界へと変容していくのだ。「キリコ」での最後の戦いはありきたりのアクションを超え殆ど神話的であり、この「フルーツ」でも主人公の少女がアフリカの呪術師に出会うという物語があり、さらに「クリオの男」でもアフリカと呪術を題材にした作品が存在し、また、中断している「マリオガン」ではネイティブ・アメリカン・インディアンの呪術が重要な要素となっている。この呪術への拘りは、情念の作家木葉功一なればこそなのだろう。なぜなら呪術とは情念であるからだ。


このように現実的であることへの隷属をやすやすとへし曲げてしまう力技が木葉功一にはあり、現在の日本のマンガ界でも極めてユニークな存在だと思われる。それはもう木葉功一世界としか言いようの無い強烈な磁場を持っており、これが木葉功一作品の魅力なのである。作品にムラがあったり展開が滅茶苦茶だったとしても、それは木葉功一が情念の作家だからであり、ひとたびその箍が外れると、そこには唯一無二の木葉宇宙が広がって行くのだ。2chスレでは「デビルマンの次作を描けるのはこの人しかいない」とまでの持ち上げられよう。刮目せよ!


ここの掲示板では木葉功一氏本人の書き込みがたまにあり盛り上がっております。それにしても熱いぜ木葉兄ィ!早く次の作品を!
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