国芳 暁斎 : なんでもこいッ展だィ! / 東京ステーションギャラリー

国芳暁斎は幕末を中心に活躍した錦絵師。オレの説明よりもHPの説明読んだほうが判り易いな。

◆勇壮な武者絵をきっかけに、幕末の浮世絵界で大活躍した歌川国芳(1797-1861)。狩野派の号をもち、正統な画歴をもちながら、浮世絵、挿絵など幅広い分野で活躍した河鍋暁斎(1831-1889)の展覧会。
◆本展は幕末と明治、変革の時代に活躍した巨匠たちのエネルギー溢れる世界を楽しもうというもので、国芳お得意の猫を描く三枚続きの浮世絵や、横幅17mにも及ぶ暁斎の役者妖怪引幕も紹介します。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp

オレは錦絵を鑑賞する趣味はないのだが、この二人の絵師は妖怪画を多く手がけており、(国芳は巨大骸骨「がしゃどくろ」の絵を描いた人で、この絵は観た事のある人は多いと思うよ)妖怪好きのオレはちょっと興味を持ってたんだ。また国芳の弟子・芳年は「英名二十八衆句」などの無残画で有名で、これは丸尾末広花輪和一による「江戸昭和競作無惨絵・英名二十八衆句」からの流れで知ったんだね。この辺の絵の雰囲気はここで見てもらえたら判るんじゃないかな。(怖いよ!)http://www.musashi.jp/persons/gakugei/crtpub/kaso/kaso03/kowai/html/nod0-0.htm

もともとオレは幽霊画とかが好きで、夏になると谷中の全生庵http://www.theway.jp/zen/で公開される三遊亭円朝が収集したという幽霊画http://www.theway.jp/zen/html/gallary/somnailindex.htmlを観に行ったりしたもんなんだ。この三遊亭円朝っていうのは1839年生まれの落語家なんだが、怪談を得意としていて、なんと、「真景累カ淵」や「怪談牡丹灯籠」はこの人の創作したものなんだよ。

会場では横17mの妖怪引幕が特に目を引いたね。妖怪絵の他に歌舞伎俳優の似せ絵とか武者絵、諧謔絵、合戦絵などもあり、その凝りまくったディテールと様式的なフォルムを持つ絵は十分興奮させられたよ!今の漫画家やイラストレーターも参考になるところは沢山あるんじゃないかな。面白かったのは絵それ自体の構図とは別に絵の中の人物が着ている着物の柄がもう一つのストーリーになっている事ね。
特に妖しい雰囲気を持っていたのは「地獄太夫と一休」という絵だね。http://nb.nikkeibp.co.jp/masters/free/CALENDAR/NUMBERS/images/840.jpg地獄太夫》というのは室町時代の有名な美人遊女だとか。良家の娘であったが人攫いにかどわかされ、遊郭に売り飛ばされ、そんな運命を自らの前世の罪深い業のせいだとして《地獄太夫》の源氏名を名乗ったんだって。凄まじいと思わない?彼女の着る着物には文字通りの地獄の有様が描かれ、そして彼女はシャレコウベ達と遊んでいるんだ。しかしそこには例のあの一休さんも描かれているんだ。言い伝えによると、一休はそんな彼女の生い立ちを哀れみ、彼女を悟りの道へと導いたと言うんだ。一枚の絵の中にこれだけストーリーがあるんだね。おもしれえなあ。この話は半ば民間伝承化されていて、山田風太郎なんかも自身の伝奇小説の題材にしているらしい。ちょっと読んでみたいな。
暁斎の《枯木寒鴉図》http://ted.city.takasaki.gunma.jp/sosiki/art_museum/t/image/t002_p1.jpgとかも美術の教科書で観た覚えがあったけど、こんな所で巡りあうとは思わなかった。今観るとやっぱり緊張感があっていい絵だね。
錦絵と言うと北斎写楽が有名だったりするけど、国芳暁斎のほうが逆に俗っぽくてあの頃の庶民に受けてたりするんだよ。画家、というよりはあの時代のイラストレーター、或いは漫画家として捉えたほうが判り易いんじゃないかな。そういった意味では彼らはポップ・アーチストなんだっていうことができるね。
余談だけど、昔少しだけ江戸文化に興味を持った事があって、まあ読んだ本は杉浦日向子さんぐらいなのだが、それでもあの時代って結構面白かったりするんだよなあ。その日暮らしが町人の基本で、今みたいにあくせく仕事してなかったっていうし、江戸の町内では「走っちゃいけない」なんていう御触れ書きもあったんだって。そもそも「働かざるもの食うべからず」なんて言葉は明治以降、富国強兵政策が打ち出されてから発明された言葉なんだよ。それまでは日本ものんびりした国だったんだ。そして全てのものが完全にリサイクルされていて、とても清潔な街だったって言う話なんだよ。江戸は、もうちょっと研究してみる甲斐があるかも。