心の慰め

「大きなことは私たちを悲しませるので、小さなことで私たちは心の慰めを見出す」。正確ではないが確かこんな言葉だったと思う。阿部公房「箱男」のなかの一節で、小説自体はどうでもよかったが、この言葉は何故かこの本を読んだ高校生の頃から頭に残っている。
自分は日常の瑣末なことにあーでもないこーでもないとチマチマ係わっているのが一番好きだ。男なら社会人ならもっとやること考えることもあるのだろうが、そもそもオレのような生涯独身者に相対的な性差など既に意味もないし、電車でバカ野郎をぶん殴らない分別を持っているだけで十分オレは社会人であると自負している。だからこそ、これ以上「一般」と「常識」を前提とした空疎な儀式とバカ騒ぎにオレを巻き込まないでくれよ、と言いたいんである。
この間電車の中吊り広告で「引き篭もりからの救出、生涯収入が2億円も違うこの現実」みたいな雑誌の見出しがあって、ああ、何にもわかっちゃいねえ、オレが金正日だったらこの記事書いた奴は即刻銃殺だな、と思った。そもそもこんな風に経済でしかモノを言えない連中が子供の引き篭もりを助長増加させてるんだろ。なにが生涯収入2億円だ。恥を知れ。
だが多分世間というのはこういう人たちの側にあり、これら声が大きく自信たっぷりな人(たいがい男)達の世界は一枚岩のように動かしようがない。だからオレはそんなのに係わりたくないんだ。オレが目の前50cmぐらいの話しかしないのは、ここがこいつ等とオレのATフィールド*1境界線だからである。そして、ある意味ここがオレのリアリテイのある場所でもあるんです。まー、ちっちゃい奴だってのも重々承知してますけどね。

*1:Absolute Terror Field.エヴァンゲリオン用語。心の侵されざる絶対領域