ロックによる反人種差別運動/映画『白い暴動』

■白い暴動 (監督:ルビカ・シャー 2019年イギリス映画)

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オレのパンク・ミュージックの初体験は1977年、セックス・ピストルズのリリースホヤホヤのアルバムでだった。「今これが一番新しいんだぜ」と友人に聴かされたその音楽は、当時プログレッシヴ・ロックばかり聴いていたオレにとって金属的なギターフレーズが轟音となって鳴り響く異様な音楽だった。好む好まざる以前に「なんだこれは」と驚いた記憶がある。

その後特にパンクを積極的に追い掛けた訳ではないが、ストラングラーズは割と好きだったし、ザ・クラッシュもなんとなくアルバムを買って聴いたりはしていた。とはいえパンク・ムーブメントはあっという間に終焉し、その後ポスト・パンクニューウェーブの時代がやって来る。そしてこれらの音はどれも新鮮で、当時のオレの心象にぴったりとフィットした。以来オレはこれらの音を貪るように聴くようになった。音楽業界の流れが変わった、と感じた時期でもあった。しかし、ポスト・パンクニューウェーブの音は、当然パンクがあったからこそ、そこを通過することで出来上がった音楽ムーブメントだったのだ。

2019年に公開されたドキュメンタリー映画『白い暴動』は、このパンク・ムーブメントと連動する形で進行していた、「ロック・アゲインスト・レイシズム(RAR)」運動を描いたものである。それは70年代にイギリスで台頭し始めた有色人種排斥を謳う極右政党「イギリス国民戦線/ナショナル・フロント(NF)」との戦いの記録でもある。NFは「英国病」とまで呼ばれた経済的逼迫状態にあった当時のイギリスで、移民有色人種へ不満と鬱積をぶつけることで吐け口にしようとしていた癌細胞の如き政治団体だった。しかしそれは、ある程度の支持を集め、差別と暴力が日常茶飯事に行われるようになり、警察ですらそれを取り締まらなかった。

そんな中、芸術家レッド・ソーンダズを中心とする若者たちが、人種差別に対してロックで対抗する組織「RAR」を発足したのだ。映画では、NFやネオナチといった極右団体がイギリスを冒していった当時の状況と、若者たちを中心に草の根でそれを撲滅しようとしたRARの活動を描きながら、その運動に賛同していった数々のミュージシャンのインタビュー、ライブ風景が挿入される。登場するミュージシャンは、パンク・アンセム『白い暴動』をリリースしたザ・クラッシュを筆頭に、トム・ロビンソン、シャム69、X-レイ・スペックスのポーリー・スタイレン、ツートーン・スカで名を馳せたザ・セレクターのポーリーン・ブラック、レゲエ勢ではマトゥンビのデニス・ボーヴェル、スティール・パルス、ミスティ・イン・ルーツが顔を見せる。個人的にはパンク勢は馴染みが薄かったが、UKレゲエの重鎮たちはどれもお気に入りだった。

ポスト・パンクニューウェーブをよく聴いていた20代の頃のオレは、ミュージシャンの発言や曲の歌詞の中から、イギリスの政治的混迷や経済低迷を知る事はあったが、「相当酷いものなのらしい」というぼんやりとした感想しか得ることは無かった。「ナショナル・フロント」や「ロック・アゲインスト・レイシズム」という言葉を歌詞に見かけることもあったが、その具体的な内容はやはり多く知る事は無かった。日本に住む20代のしょぼい若者だったオレにとって、遠い国イギリスの政情は、やはりどこか遠いものだったのだ。ネットもなにもなかったその時代に、これらの語句を簡単に調べる術は無かったし、とっていた音楽雑誌(ロッキング・オンだった)でもそれらを詳しく掘り下げていなかったか、あるいは書いていても読み飛ばしていたのだろうと思う。映画を通しそれら40年以上前の認識が更新されたのがなにより得難い体験だった。

以前ネットで「音楽に政治を持ち込むな」という言い回しを読んで唖然としたことがあった。ぼんやりとした認識ではあっても、20代の頃に聴いていたポスト・パンクニューウェーブは、全てではないにせよ、ある程度の頻度で政治的だった。音楽とはそういう側面もあるのだ、とオレは認識していた。もちろん音楽は政治的であるべきということではない。しかし、生活の実感の中で音楽が生まれるなら、そこに日々の暮らしを通して垣間見える政治性が織り込まれることがあるのも当然ではないか。

確かにイギリスでは「階級制」という形で「見えやすい」格差があり、「移民有色人種」という形で「分かりやすい」差別の対象が生まれる。一方日本ではこれまで、これら格差と差別が一見して「見えにくく」「分かりにくい」ものだったが、格差も差別も間違いなく存在していた。そしてその構図は、ここ数年になって(例の政権になってから)「見えやすく」「分かりやすい」形で頻出している。デモの是非などという馬鹿馬鹿しい論議にも呆れたが、ここ数年の日本の市民生活の状況を鑑みるなら、むしろ映画における70年代イギリスの状況に近づいてきている気さえする。別に日本の音楽シーンに政治性など期待しないが、「こういった形で音楽が世界を変える力を持つのだ、人に希望を与えるのだ」という一つの例を、このドキュメンタリーから感じ取ることは出来るのだ。

とまああれこれ知ったようなことを書いたが、何と言ってもね!ステージに立つジョー・ストラマーが!神々しいまでに!カッコイイんだよ!!!(この記事もザ・クラッシュベスト・アルバムを聴きながら書いた)

なおこの作品は4月3日公開予定だったが、新型コロナウィルス拡大による緊急事態宣言で各地映画館が休館となり、急遽期間限定のオンデマンドの形で公開となった(劇場公開予定されている地域もあり)。オレもアマゾンプライムの配信を利用した(レンタル料金は1100円)。映画産業応援のためにもここはひとつ配信動画を利用してみてはいかがだろうか。配信プラットフォームは以下のサイトを参考にされてください。

 映画で言及される「反人種差別フェスティバル」の発端とそのステージの様子は以下のサイトに詳しい。■映画『白い暴動』予告編

白い暴動

白い暴動