JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン (監督:グラント・ジー 2007年イギリス/アメリカ映画)


イアン・カーティスは、全米ツアーの前日に23才で死んだ。

−「俺たち4人、曲を書いて、イカした演奏をするのは、とてもたやすい事だった。
 そう、簡単さ…死んだらそれが出来なくなるだけ」ピーター・フック(ニュー・オーダー

ニュー・オーダーの前身であり、今なお伝説として影響を与え続けるバンド、
ジョイ・ディヴィジョンとは何だったのか?
そして、『24アワー・パーティー・ピープル』、『コントロール』で描かれた、
イアン・カーティスの真実の姿とは…。

そして、ずっと俺を呼んでいる。
彼らは、俺を呼んでいるのだ…。

1976年、イギリスの荒廃した都市マンチェスターで、セックス・ピストルズのライブに衝撃を受けた4人の若者が、バンドの結成を決意する。
彼らは後に“ナチス・ドイツ将校専用の慰安所”=ジョイ・ディヴィジョンという名をバンドに冠し、瞬く間にスターダムへとのし上がっていく。

しかし、わずか4年後の1980年、全米ツアーへ出発する前日にボーカルのイアンは、23歳にして、自らの手で短い生涯を終える。アートと絶望、そして孤独を歌った音楽だけを残して…。

”伝説の”バンド、ジョイ・ディヴィジョン。この映画『JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン』は、パンク・ミュージックに魅了された若者達が自らバンドを興し、時代の寵児として多大なる注目を浴びながら、ヴォーカリストイアン・カーティスの死によって終焉を迎えるまでを、当時のライブ映像や関係者達のインタビューを交えて構成されたドキュメンタリーである。

平日の最終回に観に行ったのだが、客席はほぼ満席。観客はやはり若い方が多かったが、あの年代の若者がジョイ・ディヴィジョンの音楽をどう捉えているのか、なんとなく気になった。勿論オレと同じようなかつてのニューウェーブ・ロック・ファンらしき年代の方も何人か見られた。映画のインタビューではスロッビング・グリッスルジェネシス・P・オリッジやキャバレー・ヴォルテールのリチャード・H・カークが登場していたのに少し驚かされた。当時はあの手のインダストリアル・ミュージックが大好きだったのだ。

イアン・カーティスの死を、ジョイ・ディヴィジョンのメンバー、ピーター・フックは食事中に電話で知り、しかし電話が終わってもそのまま普通に食事を続けてしまったのだと言う。そのピーター・フックも同じくメンバーのバーナード・サムナーも、イアンの葬式には出席しなかった。関係者の中には映画を観に行っていたものもいたらしい。彼らは、別に冷酷な連中だと言うわけではない。あまりのことに、現実を受け入れたくなかったのだ。人は、悲劇的なことに立ち会うと、泣き叫んだり喚いたりするよりも、むしろ現実感を喪失してしまうものなのかもしれない。

映画のチラシに掲載された様々な業界からのコメントの中には、ゲーム『メタルギア・ソリッド』シリーズの監督、小島秀夫氏の名前もあった。氏も30年も前からジョイ・ディヴィジョンの音楽のファンだったのらしい。そういえば、サイバーパンクSF作家ウィリアム・ギブソンは、処女作『ニューロマンサー』を執筆している最中、ずっとジョイ・ディヴィジョンを聴いていたのだという。理由は分からないが、それぞれのジャンルで先鋭的なものを生み出してきた人々とジョイ・ディヴィジョンとは、奇妙な親和性があるのらしい。ただ暗く内向的な音以上のものが、彼らの音楽にはあったということなのだろう。

彼らの音楽について、そしてイアン・カーティスについては、以前のオレの日記アントン・コービンの映画『コントロール』を取り上げた時に殆ど書いてしまったような気がする。思い入れたっぷりだし、十分に感傷的で、湿っぽい文章だ。死によって伝説となったカリスマロックミュージシャンと、その陰鬱さに満ちた音楽と、その音楽を聖典のように崇拝していた自分自身の青年期の記憶。まあ、そういう時代もあったのだ。セーシュンなんてそんなもんなんじゃないのか。

だからこの映画で、イアン・カーティスやバンドの面々の顔を見るにつけ、ああ、みんななんて若かったんだろう、と思い、そして、彼らの音楽を愛していた自分も、きっと若かったんだろうな、と思うだけだ。青年期には青年期の鬱屈があり、高揚と全能感があり、希望と絶望があったのだ。ただもうオレはその青年期にはいない。あの頃、自らを苛んだそれらの思いを、オレは数十年の歳を重ねて、学習するか、放棄するか、あるいは適当にやり過ごすこと覚え、なし崩しにチャラにすることにしたのだ。

そしてオレは自らを、怠惰の生んだ諦念と、小市民じみたみみっちい充足でもって自己肯定し、ずさんに誤魔化した胡乱な人生に、満足することで自己完結し、それら全てを、社会適応だと呼んで、納得することにしたのだ。まあしかし、歳を取るのは、そんなには、悪いことでもない。少なくともオレは、あの頃と比べるなら、それほど不幸ではない。多分オレは、馬鹿げた人生を生きることは、死を選ぶことよりは、ほんの少しはましじゃないか、と思い込みたいんだろう。そして、やはり思ってしまう。イアン・カーティスが今でも生きていたなら、どんな人生を歩み、どんな音楽を作っていたのだろうか、と。