30周年の男

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オレのごとき誠にしょうもないオッサンであろうとも、一応はサラリーマンであり給与生活者であり会社員であったりはするのである。そんな真性プロレタリアートのオレであるが、このたびなんと勤続30周年を迎えたのらしく、勿体ないことにこの間会社にて表彰を受けたという訳なのである。

当たり前の話ではあるが、勤続30周年ということは今の会社に勤めだしたのが30年前という事になる。30年前、オレは29歳だった。

オレが北海道のウルトラギガド田舎から上京したのは18歳の時だ。なんだかよく分からん専門学校に入学する為だったが、東京の太陽が眩し過ぎて脳細胞がオーバーヒートを起こし3ヶ月でドロップアウト、以降バイトで糊口をしのぎながら明日をも知れぬモラトリアムな日々を送っていた。そんなバイト生活を10年も続けていたのだからヤル気の無さは山のごとしである。しかも同じ職場で10年バイトしていた。当時はまだフリーターという言葉すらなかったから、オレはそのハシリという事になるであろう。エッヘン(偉くない偉くない)。

しかし29歳のある日、「来年30になっちゃうし、このままバイトだとヤヴァイだろ」と、やっと人並みの危機感を覚えたのである。で、就職活動でもしようかと思ったが、学歴も無くスキルも無く向上心も無く性格が胡乱なだけが取り柄のオレに出来る仕事がたいしたあるわけでもなく、やりたいと思う仕事もありはしなかった。それでどうしたかというと、バイト先の目の前にいつも暇そうにしていた倉庫会社があったので、これなら楽そうと思い、「人いりませんか」と乗り込んだのだ。だいたい暇そうな会社に求人があると思う所がオレという人間の浅はかさなのだが、なんと求人していたらしくあっさりその会社に入社することが出来た。丁度バブル期でもあったので、社会も割とイージーモードだったのだ。

そしてその会社に30年……なのかというと実はちょっと違うだ。勤めだしたその会社、最初はよかったものの、バブル期に長者番付に名を連ねる程になった社長が欲をかき、次第にブラック化していったのだ。儲けたから社員に還元、ではなくて、さらにもっと儲けるには給料切り詰めて社員から搾り取れ、という方向に行っちゃったのである。要するにサービス残業制とボーナスカットを導入したのだ。おまけに社長の息子が役員として入社したのだが、これが見事な性格破綻者で、社内の雰囲気は最悪、人員も大量に離職していった。業務的にもグレイなことをやっていたので、業種の査察が入って睨まれていたりもした。多分あのままだと会社を続けていられなかっただろう。

その時役員の一人が、「これじゃイカン」ということで、同業他社との合併話を社長に持ち込んだ。その話は上手くいき、合併したというのがオレの今の会社という訳なのである。ただここでも一波乱あって、一度合併話を呑んだ社長が掌返しをして「やっぱ合併しないわ」とか言い出したのだ。ここで急遽、合併を推進していた役員による全社員参加の合同会議が行われた。それはほぼ社長の吊るし上げで、それぞれに不安を抱えていた社員たちは「話ちげーじゃねーか」と社長に詰め寄った。それに社長が気圧される形でやっと合併が決まったのだ。

とまあ、そんな経緯があったうえでの「勤続30周年」だった。実質的には2社を渡り歩いたことになるが、合併という形ではあるので、合併前の会社からカウントして30年なのだ(前の会社で18年、今の会社で12年勤めたって感じかな)。今の会社では、少なくともきちんとした給与とボーナスが支払われているのでそこそこ満足している。福利厚生なんかもしっかりした会社であろうと思う。なにしろオレは学歴も無くスキルも無く向上心も無く性格が胡乱なだけが取り柄のしょうもない社会人なので、こんなツブシの効かない人間は石に齧りつくように地味に地道にやっていくしかなかった。

あれやこれやキツイこともあったがなんとか30年だ。そして数年後は定年である。まあその後も何がしかの仕事をすることにはなるだろうが(あんまり貯金無いんっす……)。今現在、例の新型コロナウィルスの為に社会の先行きが相当に不透明だし、正直より困難になってゆく予感もするのだが、それでもやはりオレごときのような者は、これからも地味に地道にやっていくしかないと思っている。

……とまあカッコよく〆るつもりだったが、表彰された翌日にあろうことか大ミスを犯してしまい、社長に直筆反省文を書く羽目になってしまった。いやあ、ご迷惑を掛けてしまった皆さん、誠に申し訳ありません……本当に反省してます……。

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