レゲエとは、ダブとはなんなのか。レゲエ・ドキュメンタリー2作を観て考えた。

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■2作のレゲエ・ドキュメンタリーDVD

もう1年近く、レゲエばかり聴いている。以前はエレクトロニカ一辺倒だったのだが、今やレゲエしか聴けない。リー“スクラッチ”ペリー作品への熱狂的評価から始まったオレのレゲエ熱は、70年代前後のルーツ・レゲエ探求へと飛び火し、今だ止まる所を知らない。以前からレゲエやダブはちまちま聴いていたのだけれども、今回はかなり重症である。

そんな中、2作のレゲエ・ドキュメンタリーDVDを観た。ひとつは70年代ジャマイカのレゲエ状況を描く『ROOTS,ROCK,REGGAE ルーツ・ロック・レゲエ』、もうひとつはヨーロッパにおける今日的なDUBの隆盛を辿る『Dub Stories ダブ・ストーリーズ』だ。

■ROOTS,ROCK,REGGAE ルーツ・ロック・レゲエ (監督:ジェレミー・マー 1978年イギリス・ジャマイカ製作)

ルーツ・ロック・レゲエ [DVD]

ジャマイカにおけるルーツ・レゲエの最盛期であり、最も重要な作品が生み出されたのは1970年代だろう。1978年に製作されたこの音楽ドキュメンタリーは、 当時まだ在命中だったボブ・マーリィのライブ映像や、ジミー・クリフのスタジオ・セッション、伝説のブラック・アーク・スタジオにおけるリー“スクラッチ”ペリーのレコーディング風景、その他様々なレゲエ・ミュージシャンの姿を通しレゲエを生み出したジャマイカという国の内実と、その中でなぜレゲエ・ミュージックがパワーを持つのかを映し出してゆく。

まず、レゲエとは何か、という命題だ。それはレゲエ独特のリズムや楽器編成であろうし、様々な音楽の影響を受けながら変容していったジャマイカン・ポピュラー・ミュージックの最終形態と言う事も出来る。しかしそれだけではなぜレゲエが強烈なパワーを持つ音楽なのかはまるで説明できない。

様々なレゲエ・ミュージシャンを映し出すこのドキュメンタリーでは、同時にジャマイカという国の貧困をも描き出す。その最貧ゲットー、トレンチタウンはトタン板で組まれたひしゃげたバラックの立ち並ぶスラム街だ。貧困率と同様に、幼児死亡率、犯罪率も高いのだという。レゲエ・ミュージシャンの多くは、このゲットーで生まれ、貧しさに打ちひしがれながらもレゲエという音楽に辿り着いた。それはラスタファリアニズムという宗教的思想運動に裏打ちされた、祈りであり希望についての音楽であり、横道な社会に対する告発だったのだ。

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トレンチタウン

今現在レゲエというとリゾート・ミュージックのように思われたり、享楽的なダンスホール・スタイルや甘ったるいラヴァーズ・ロックを想像する方も多いかもしれないが、レゲエのそもそもの起点は、ゲットー・ミュージックであり、革命のためのレベル・ミュージックであったのだ。それは音楽によってしか救いと憩いを得ることのできない、ジャマイカの貧民たちのなけなしのすべだったのである(まああと“ジャーの葉っぱ”もあるんだけどね)。

そんな時代のそんな音楽が、なぜ今のオレの心に響いてたまらないのか。オレは貧しい生まれとはいえ今は食っていけるほどの仕事はしているし、多くさえ望まなければ恵まれた生活を送っているといってもいいかもしれない。だが、今自分の住んでいる国を覆うなんとも言いようの無い社会や政治のあり方や、じわじわと真綿で首を絞めるかのような貧困の足音には、はっきり言ってうんざりさせられるし、不安を感じている。同時に、それに何もできないであろう無力感もまた感じている。

レゲエは、そんなうんざりさせられる気分に「Lively Up Yourself」と歌ってくれる音楽なのだ。レゲエのリズムは、早くもなく遅くもない。やたら高揚を煽るのでもなく、やたら憂鬱を強調するのでもない。まさに中庸の中から、一定のリズムをキープし続け、「望んでも望まなくても、現実は連綿と続く、だからせめて前を向いて生きよう、これを頑なに日常にしよう」と鳴り響く。この「まるで溶岩石のように凝り固まった」強固な意志の在り方こそがレゲエなのではないかとオレは認識している。

それはある意味ロックであることだし、そして、レゲエとは、ジャマイカ人にとっての、ロックなのだ。だからこそ、「ルーツ・ロック・レゲエ」と、レゲエ・ミュージックは歌い上げるのである。To be a rock and not to roll。

ルーツ・ロック・レゲエ [DVD]

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■Dub Stories ダブ・ストーリーズ (監督:ナタリー・ヴァレ 2006年フランス製作)

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『Dub Stories』と名付けられたこのドキュメンタリーは、実は2006年のフランス製作である。その内容は、冒頭でキング・タビー、リー“スクラッチ”ペリーらダブ・ミュージックの始祖を紹介しながら、最初にUKにおけるジャー・シャカ、エイドリアン・シャーウッド、さらにマッド・プロフェッサーの隆盛、そしてその後ヨーロッパの様々な国に広がっていったダブ・ミュージック・ムーブメントについて触れてゆく。

オレはダブというとやはりジャマイカ産を聴くのが殆どで、ヨーロピアン・ダブについてはよく知らなかったのだが、例えばフランスにおけるダブの人気は非常に高いのらしい。だからこそのフランス製作ということなのだろう。このDVDで紹介されるミュージシャンについてもやはり殆ど知らないのだが、ダブというツールを得た彼らが自らにとってダブとは何かを熱く語ってゆく様がリポートされてゆく。

彼らミュージシャンの多くはダブをスピリチュアルなものとして語りたがるが、実はダブとは、脳生理学的に非常に機能的な音楽なのではないかとオレは解釈している。まずベースの重低音。重低音、つまり低周波が意識喪失など人間の生理に影響を与えることは既に研究されている。そして延々同質に繰り返されるリズムは意識を無感覚にする。さらにディレイやリバーヴなどの反響音。知覚は反響音によって空間認識を成すが、これが過剰であれば認識に混乱と齟齬をもたらす。これら聴覚情報の混乱は意識を「Dazed(呆然と) & Confused(混乱)」させるのだ。

ダブ・ミュージックの幻惑性とはまさにここにあり、これによる意識の酩酊を生み出すのがダブ・ミュージックであるのだと思う。そしてこれを、単純なサウンドセットから「発見」「発明」したことがダブ・ミュージックの偉大さであり、その後ダブという形式が様々なクラブ・ミュージックに応用されるようになった元なのではないだろうか。というわけで今日もオレはダブを聴いてトブのである。うわんわんわんわんしゅんしゅんしゅんしゅん。

Dub Stories DVD&CD

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