インド映画の様々な言語

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インド映画と一口に言っても、なにしろインドは多言語社会であり、国土は広大で人口も多く、微妙に民族も違っていたりします。それにより製作されている映画も言語によって様々です。また、映画の内容もそれぞれに特徴があります。

◎参考:インドの公用語

インドには、色々な人々の集団があると共に、それらの人々が話す多様な言語がある。少なくとも30の異なる言語があり、全体で、2000前後の方言が知られている。
インド憲法は、連邦政府の公的共通語として、ヒンディー語と英語の二つの言語の使用を規定している。連邦憲法はさらに第8附則において22の指定言語を定めているが、その公的な位置づけについては曖昧な部分が多い。

インドの公用語の一覧 - Wikipedia

その中で、それぞれに違う言語で製作されるインド映画は大枠ではこれだけあります(まだ他の言語もあります)。

タミル、ヒンディー、テルグ、マラヤラム、カンナダ、ベンガリー、マラーティー、パンジャービー

インド映画ファンにはなんとなくどれがどうとか分かるのですが、インドに馴染の無い方にはそれぞれどう違うのか分かり難いでしょう。なのでここでまたWikipediaの引用を貼っておきます。

タミル:タミル語は、ドラヴィダ語族に属する言語で、南インドのタミル人の言語である。インドではタミル・ナードゥ州の公用語であり、また連邦レベルでも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつであるほか、スリランカシンガポールでは国の公用語の一つにもなっている。世界で18番目に多い7400万人の話者人口を持つ。

 

テルグ:テルグ語は、ドラヴィダ語族に属する言語で、インド南東部のアーンドラ・プラデーシュ州およびテランガーナ州の公用語である。タミル・ナードゥ州、カルナータカ州などでも話され、ドラヴィダ語族の諸言語のなかでは、約8,000万人ともっとも多数の使用者がいる。

 

マラヤラム:マラヤーラム語は、南インドのケーララ州などで話される言語である。インド憲法で認められている22の公用語のうちの一つであり、話者は約3,570万人。マラヤラム語を話す人々は マラヤーリ と呼ばれる。マラヤーラム語はドラヴィダ語族に属する。言語の基本構造と正書法は、ともにタミル語によく似ている。マラヤーラム語は、独自の文字マラヤーラム文字をもっている。

 

カンナダ:カンナダ語は、ドラヴィダ語族の中でもっとも古い言語の一つで、2001年時点で約3770万人の話者人口を持ち、多様な方言に分かれている。南インド4州の一つ、カルナータカ州の公用語である。独自の文字、カンナダ文字が使われる。まれにカナラ語と称されることもある。

ベンガリー:ベンガル語ベンガル人の言語。話者数は2億人を数え、日常会話の言語人口としては、世界で7番目に多い言語。主にバングラデシュおよびインドの西ベンガル州とその周辺で話されている。バングラデシュの国語であり、またインドでも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつとして、西ベンガル州とトリプラ州の公用語になっている。アッサム州にも話者がいる。ほか西アジアなどで移民によって話される。

 

マラーティー:マラーティー語は、インド・ヨーロッパ語族のインド・アーリア語派に属し、インド西部のマハーラーシュートラ州の公用語である。またインド連邦レベルでも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつである。この言語を話す人々はマハーラーシュートラ州だけでなく、隣接するゴア州、グジャラート州、アーンドラ・プラデーシュ州などにも多数居住し、全体で、9,000万人ほどの言語使用者がいると算定されている。マラータ語、マラーター語ともよぶ。

 

パンジャービー:パンジャーブ語は、インドとパキスタンにまたがるパンジャーブ地方の言語である。パンジャービー語とも称される。インド・アーリア語派に属し、語順はSOV型である。話者数で言えば、南アジアの言語のうち、ヒンディー語ベンガル語に次ぐ規模を持ち、世界的に見ても大言語であるが、そのわりにパンジャーブ語の社会的な地位は必ずしも高くない。

インド映画は年間製作本数が2000本余りと、世界一の製作本数を誇ることが兎角言われますが、これだけ多言語でそれぞれに製作されていればそりゃあ本数も多くなるというものでしょう。「2015年度のインド映画製作本数」においてはヒンディー語映画の製作本数は340本となっており、これだけで見ると極端に多く製作されてるわけではないことが分かります。ちなみに同年度のアメリカの映画製作本数は791本です。

とはいえ、特にオレのような適当なインド映画ファンは全ての言語の映画を万遍無く観ている訳ではありません。一番多く観るのはボリウッドの俗称のあるヒンディー語映画(西インド・ムンバイを映画産業の中心とする)、オレが「南インド映画」で一括りにしているテルグ・タミル語映画で、それ以外の言語のインド映画は殆ど観ていません。ただしインド映画界の巨匠と呼ばれるサタジット・レイ監督の作品はベンガル語映画東インドコルカタを映画産業の中心とする)作品となります。映画と関係ありませんが、詩聖タゴールを生み出したのもこのコルカタです。

これら三種類のインド語圏映画にはそれぞれに特徴があり、それは以前有名なインド映画ブロガーの方が日本の映画会社になぞらえながらこんな具合に評していました。

ヒンディー語映画=東宝映画……老若男女にまんべんなく受けるエンターテインメント性の高い作品を多く製作する

テルグ・タミル語映画=東映映画……「任侠」「時代劇」に強く暴力性の高い作品を多く製作する

ベンガル語映画=松竹映画……文芸性の高い作品を多く製作する

 もちろんこれは大雑把な括りなのでこういった傾向に無い作品も当然製作されています。

また、これも相当大雑把な書き方ですが、インドは北部インドを中心とするインド・アーリア人と南部インドを中心とするドラヴィダ語族の拮抗によって成り立っているともいえます。学説は安定していませんが、もともとインドは紀元前2600年頃からインダス文明を興したとされるドラヴィダ人が先住し、そこに紀元前1500年頃イラン高原からアーリア人流入、紀元前1300年頃からドラヴィダ人への支配が始まったといわれているんですね。 

◎参考:ドラヴィダ人の歴史

・紀元前53000年頃、アフリカ東岸からインド南西部に移住する。 さらに北、東へと広がって行く。
・紀元前2600年頃、インダス川流域(現在のパキスタン)にインダス文明を形成する。複数の都市よりなる文明である。
・紀元前1800年頃から、紀元前1500年頃にかけてインダス文明の都市は放棄される。気候の変化が理由だと言われる。
・紀元前1500年頃から、イラン高原からアーリア人のインド北西部への移住が始まる。
・紀元前1300年頃から、アーリア人は一部地域の一部のドラヴィダ人を支配し、階級制度のカースト制を作り出し、アーリア人は司祭階級のブラフミンと、王族・貴族のクシャトリア、一般市民のヴァイシャを独占し、ドラヴィタ系の民族は奴隷階級のシュードラに封じ込められたとされていた。しかし近年の研究ではアーリア人ドラヴィダ人共に様々な階級に分かれていた事が発覚した。
・紀元前1000年頃から、アーリア人ガンジス川流域への移住と共に、ドラヴィダ系民族との混血が始まる。アーリア人の認識は人種ではなく、言語や宗教によってなされるようになる。
・現在ドラヴィダ系の人々はインド全域に居住しているが、古くからの文化を保持する民族は南インドを中心に居住している。

ドラヴィダ人 - Wikipedia

何が言いたいのかというと、ヒンディー語映画を中心とする北インド映画とテルグ・タミル語映画が中心となる南インド映画の、その作品の在り方・性格の歴然とした差は、これら民族性・文化性の差異に起因する部分もあるのではないか、とちと思う訳なのですよ。

以上となりますがそもそもオレは研究者でもないし、読めばわかるようにインドの知識はほとんどWikipedia頼みなので、結構間違ったことや勘違いしていることを書いているかもしれません。といか絶対書いていると思います。そういった部分で「ちょっとした参考」程度に読んでもらったほうがよろしいかと。でわでわ。