バイオなハザードがファイナルだっぺ!?〜映画『バイオハザード ザ・ファイナル』

バイオハザード ザ・ファイナル (監督:ポール・W・S・アンダーソン 2016年アメリカ映画)


あの「バイオハザード」がファイナルらしい。映画『バイオハザード ザ・ファイナル』はシリーズ6作目にして最終章となるのだ。
しかし・・・・・・ぶっちゃけ、「バイオ・シリーズ」って6作も続くほど面白かったっけか!?と思うのである。1作目は、そりゃまあオレも結構好きだった人気ゲームの映画化ということで好意的に観たけど、2作目からの突っ込みどころ満載なクオリティの低さは啞然とする領域だった。あんまり酷かったから3作目からは「笑って楽しむホラーアクション」ということにした。するとアラ不思議、「もともとしょうもない」と思えるとこのシリーズが許せるようになってきた。かといって劇場で観るほどのもんでもないなと思い5作目である前作『バイオハザードV リトリビューション』はDVDでお茶を濁したが、この5作目は意外とよく出来ていた。

さてその『ザ・ファイナル』である。映画冒頭、これまでのまとめ映像を流してくれてこれがとても親切だ。というか「あ、そういうお話だったの?」とやっと理解できたというオレである。これはバイオのせいばかりではなくオレの伸び切ったパンツのゴムのような記憶力の成せる業である。
しかし分かりやすいこれまでの粗筋の後の、廃墟をうろつく主人公アリスがいったいなにやってんのか皆目分からない。なんでうろついているのかすら分からない。ここにきて既に「バイオ節」炸裂である。すろと今度はアンブレラのAIレッドクイーンが現れて、「T-ウイルス感染者撲滅剤をアンブレラが作ったからそれを本拠地ラクーンシティ地下基地へ取りに行きやがれ。48時間以内に撲滅剤播かないと人類全部死ぬから。ゲラゲラ」とかなんとか言い腐るのである。というわけで『ザ・ファイナル』のお話が始まるというわけである。

とはいえこの設定がまず分からない。アンブレラはある陰謀からT-ウイルスをばら撒き人類を滅亡させたが、もう人類なんて殆ど残ってないんだから撲滅剤さっさと播いて地球をクリーンにしちゃえばいいだけじゃないか。播かない理由は「最後の一人まで人類を根絶やしにする」ためなのだろうが、そもそも生き残りがどこに何人いるとかどうやって分かるんだ。そして分かっていてさらにそれを壊滅させたいならさっさとぶっ殺しに行けばいいじゃないか。あと、48時間ってどこから算出された時間なんだ。オレがなにか見落としたのかもしれんが・・・・・・(たまにあるので見落としだったら失礼)。

そんなこんなでラクーンシティへ向かうアリスだが、ここで早速アンブレラ軍と遭遇、戦いも空しく拉致られるのだ。ってかさあ、この時点で「人類の生き残りは約4千人」とか言ってるけど、もう3900人ぐらいはアンブレラの兵隊なんじゃないの?人類の人材資源なんて既に枯渇しているのにアンブレラってやたら兵隊無駄使いしまくらない?4千人って「アンブレラ関係者以外で」って意味かしらん(クライマックスでその謎が明らかになるが、それにしても4千人ってどうカウントしたんだ)?で、アンブレラ軍から脱出したアリスは今度は反アンブレラ隊と共闘してラクーンシティを目指すが、反アンブレラ隊って10人ぐらいはいるんだよな。だから4千人っていったい・・・・・・。
ラクーンシティ地下基地に着いたら着いたでアンブレラの熾烈なトラップがアリスらを襲うんだけども、トラップ仕掛ける暇あるんならさっさと生き残り掃討作戦展開して根絶やしにしとけばいいじゃんよう。どうせ人類なんてもう4千人ぐらいしかいないんだからよう。とはいえ、このトラップに次ぐトラップがこの映画の面白さといえば面白さでもあり、なにしろ「ゲームPV映画」だからその辺割り切って観ると楽しいともいえる。その後も色々あるが細々書くと突っ込みだらけになるからこの辺で止める。
それにしても今回の『ザ・ファイナル』、画面が暗すぎる。屋外では茶色いフィルター掛けたくすんだ色だし、屋内は暗くてなにがなにやらわからない。これまでいかにもセット撮影でございといわんばかりの薄っぺらい色調の画像で、見るからになにもかも見た目が安っぽかったんだが、その反省なのだろうか。ポール・W・S・アンダーソンはちょっとか映画監督みたいなことをしたかったのだろうか。その結果がこの画像の暗さというのも芸のなさを露呈しているけど。

とまあグダグダ書いたが、それでもこの映画、ファイナルということで一応物語をきちんと畳もうとしている努力の跡は見られる。ああこれはこういうことだったのね、と理解のできるお話になっているのである。やれば出来る子じゃんアンダーソン監督。まあうまく誤魔化しただけのような気もするが。そもそも「バイオ・シリーズ」は「見せ場だけ繋いで物語は全然空っぽ、整合性はお座成り」「派手なアクション見せたいばかりにリアリティは皆無」という映画というものなんだが、逆に「ゲームを補完するイメージ映像集」と割り切って観ると、その派手さと馬鹿馬鹿しさはそれほど悪いもんでもない。要するに「ゲームPV」であって「映画」でもなんでもないのだ。全ての設定が破綻しているのに無理やり1本の映画として成り立たせようとしているあの厚顔無恥な開き直りっぷりがいいとも言える。

というかアンダーソン監督、『イベント・ホライゾン』とか『デス・レース』とか意外といい作品も撮っていて、『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』も結構好きな作品だったりするし、「バイオ・シリーズ」はどれも高い興行成績上げており、ホントはバカにしちゃいけない監督なのである。だからこのシリーズの妙にしょうもなく感じる部分というのは、実は監督が割りと私的に自由に楽しみながら作ってから(嫁が主役だし)、という部分があったからなのかもしれない。そういうわけで『バイオハザード ザ・ファイナル』でした。
http://www.youtube.com/watch?v=fsUmSwhLfjM:movie:W620