Mersal (監督 : アトリー 2017年インド映画)
最近行った「インド映画上映会」で観た映画の感想を今日から3回に渡って更新します。これはSpacebox Japanさんのところでシネコン等を借り切って企画上映している最新インド映画上映会の事で、ほぼ在日インド人向け、英語字幕のみの上映会になります。
まず一作目はタミル語映画『Mersal』。"タミル語映画"というのは大雑把に非ボリウッドの南インド映画だと思ってください。
まずこの『Mersal』、南インドではカリスマ的な人気を誇るヴィジャイという俳優が主役です。南インド映画は全く不案内なオレですが、「もんの凄いカリスマ人気俳優」ということはビンビンに伝わってきます。なにしろTwitterで「『Mersal』観に行く」とツイートしただけで、どうやって知ったのか南インド系らしき方々から膨大なファボを貰ったぐらいだからです。このとんでもないファボ数からだけでも現地におけるヴィジャイの熱狂的な人気を伺い知れるというものです。
この『Mersal』はそのヴィジャイが一人3役を演じるという、もう映画のどこをどう切ってもビジェイビジェイビジェイとビジェイしか出ていない金太郎飴の塊みたいな作品なんですね!もうみんなカリスマスター・ヴィジャイ見た過ぎてたまんないんだと思います!ヴィジャイが演じるのはマジシャンと医者と村のレスラーですが、何故同じ顔なのかはインド映画なんで察してください。いわゆるダブルロールものの変形です。映画は時間軸を行き来しながらある「謎の男」とその男の「復讐の物語」を語ってゆきます。
で、なにしろ映画全体の熱量がモノ凄い。極彩色に彩られた歌と踊りのシーンの艶やかさ、ARラフマーンの伸びやかな音楽はもとより、登場人物たち誰もが激しい熱情を画面に叩き付け、全篇がどこまでもビビッドな表現で埋め尽くされているんです。これはもう映画を飛び越え一つの【祝祭】です。それはヴィジャイという一人のカリスマをひたすら崇拝する【祝祭】であり、南インド人であることの【誇り】を高らかに歌い上げる【祝祭】なのでしょう。
物語それ自体は南インド映画の王道的なモチーフで埋め尽くされています。それは「無敵のカリスマヒーロー!」「極悪非道の敵!」「スーパーバイオレンス!」「エグい残酷シーン!」「祝祭!」「復讐!」「無償の愛!」そして「社会正義!」といったものです。南インド映画に全く不案内なのにもかかわらず「王道的」と思えてしまうのは、かのラジニカーント映画やこれまで観た数少ない南インド映画もそんなモチーフで構成されているものが多かったからです。その程度の少ないサンプルから同じモチーフを特定できるのもやはりパターン化しているからなのかなと思うんです。
もちろんこれは「王道的」なのであってそうじゃない南インド映画も沢山あるのでしょう。どちらにしろ、一見様々な工夫を凝らしているように見えながら物語の流れそれ自体は既視感が強いんです。しかしだからこそ安心して観られるのでしょう。なぜならこれは【祝祭】であることが主たる映画であり、そして【祝祭】は誰もが知るように執り行われなければならないからです。同時にその【祝祭】は天にも届くほど高らかに執り行わなければなりません。映画を観ている間中終始、心と体を貫くように感じた高揚感は、この作品が非常に優れた祝祭空間を構築した作品であることの証なのだと思えました。南インド映画はやっぱスゲエなあ。