■ドリーム (監督:セオドア・メルフィ 2016年アメリカ映画)
《目次》
NASAの宇宙開発を支えた黒人女性たちの実話物語
「NASAの宇宙開発を支えた黒人女性たちの実話物語」、映画『ドリーム』を観た。評判に違わぬ素晴らしい作品で、みんなも観るといいと思う。
この作品は基本的には「黒人で、さらに女性であることから、差別的に扱われていた主人公たちが、社会に認められ、自らの能力を十分に発揮できるようになること」が描かれ、そういった部分で注目を集めているのだろうが、他にもいろいろな軸がある。
- 3人の女性の友情物語。
- その女性たちそれぞれの知性、努力、チャレンジ精神。
- NASAの宇宙開発の物語であること。
- その背景にある冷戦構造。
- これら全てをひっくるめた60年代アメリカの文化と風俗。
これらが絡み合うことによって、映画は人権の在り方のみを描いたものではない、人間味に溢れた豊かな表情を見せる物語として楽しむことが出来たのだ。
物語の中心となる3人の女性は、管理職を望むドロシー(オクタヴィア・スペンサー)、エンジニアになることを夢見るメアリー(ジャネール・モネイ)、そして天才的数学者キャサリン(タラジ・P・ヘンソン)。まず、ドロシーとメアリーを見てみよう。
ドロシーの場合
ドロシーは管理職に就くことを望みながら、今のままでは使い捨てにされることを危惧していた。そんなある日研究室に新たに導入されたIBMコンピューターを見てあることを思いつく。彼女は「プログラミング」という当時それほど一般的ではなかった領域に活路を見出そうとする。彼女はイノベーターだった。
このIBM、実は「1930年代から女性も技術職として活躍し、1940年代には女性が副社長に就任」「1963年の雇用機会均等法が施行される30年も前から平等な賃金、平等な仕事を提唱」「2017年現在、女性がIBMのCEO(最高経営責任者)」という企業なのだという。IT企業という、当時は「新しい」企業ならではの柔軟さだったのだろうか。
メアリーの場合
一方、メアリーはエンジニアを志しながら黒人女性であるばかりに資格を得られないでいた。そこで彼女は思い切った行動に出る。彼女はチャレンジャーだった。
ちなみにアメリカにおける雇用機会均等の歴史は以下のようなものであるという。1964年において「人種、肌の色、宗教、性別、または出身国に基づいた雇用差別を禁止」とある。
均等賃金法(1963年) - 同じ仕事をする男女を性別による賃金差別から守る法律。 2) 市民権法(1964年)- 人種、肌の色、宗教、性別、または出身国に基づいた雇用差別を禁止。 3) 雇用における年齢差別禁止法(1967年)- 40歳以上の個人を年齢に基づいた雇用差別から保護。 4) リハビリテーション法 (1973年)- 連邦政府で働く、資格を満たしている障害を持つ労働者に対する差別を禁止。 5) アメリカ障害者法(ADA) (1990年)- 一般企業、州及び地方政府における資格のある障害者に対する雇用差別を禁止。 6) 市民権法 (1991年)- 意図的な雇用差別に対して損害賠償金を支給。
この背景となっているのは1964年に制定されたアメリカ「公民憲法」である。
【公民権法(1964年制定)の201章】「すべての人は、・・・・公共の場で供される商品・サービス・施設・特権・利益・設備を、人種・皮膚の色・宗教あるいは出身国を理由とする差別や分離をなされることなく、完全かつ平等に享受する権利を持たなければならない」この法律により、食堂やバスにおいて「白人用」「黒人用」と座席を分けたりすることは違法となった。
とはいえ、気高い理念と理想のもとに公民憲法が生まれたからといって、黒人たちにすぐさま明るい未来が待っていたわけでは無い。彼らにとっての"茨の道"はまだまだ続いていた。
しかし、アメリカ国内における白人による有色人種への人種差別感情はその後も収まらず、公民権法制定後の1965年3月7日には、アラバマ州セルマで「血の日曜日事件」と呼ばれる白人警官による黒人を中心とした公民権運動家への流血事件が発生した上、人種差別感情が強い南部を中心に、クー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体による黒人に対するリンチや暴行、黒人の営む商店や店舗、住居への放火なども継続的に起きていた。
さて、この映画で描かれるマーキュリー計画は、1959年から1963年にかけて実施された、アメリカ合衆国初の有人宇宙飛行計画である。つまりこの宇宙計画の裏舞台で働くドロシーとメアリーは(もちろんキャサリンも)、1964年の公民憲法制定以前に、自らの「夢」を勝ち取るために戦った女性たちだったのだ。
キャサリンの場合
一方、キャサリンは天才的ともいえる数学者だった。映画『ドリーム』は彼女を巡る物語が要となっている。
ところで、映画の中では女性ばかりが在籍する「計算室」が登場する。なぜ女性ばかりなのか?これにはこういった背景がある。
1930年代半ば以降、数学者といえば、
女性を意味するようになっていた。1935年、 ラングレー初の女性計算手グループが誕生すると、 研究所の男性陣からは、怒りや不満の声があがった。 数学のようにきわめて緻密で正確な処理が求められるものを、 女などに任せられるのか。1台500ドルもする 計算機を小娘に使わせるなんて!ところが、この「小娘」たちは優秀だった。きわめて優秀だった。 実際、多くの技師より、よほど計算が得意だったのだ。 (『
ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち (ハーパーBOOKS)』(マーゴット・リー・シェタリー, 山北めぐみ 著)より)
そう、なによりもまず、女性たちは、優秀だったのだ!そして、その優秀さを、はっきりと認められていたのだ。
さて、最初に書いた「作品の持つ様々な軸」には、もうひとつ、これを付け加えなければならない。それは、
- 研究室本部長のマネジメント能力
だ。実はこれがなければこの物語は成り立っていなかったのではないだろうか。
宇宙特別本部・本部長ハリソン(ケビン・コスナー)はソ連との宇宙開発競争の中で、なんとしてでもアメリカの有人ロケットを飛ばさねばならなかった。そんな中、研究室に配属された天才的数学者キャサリンの仕事の遅れが、慣例的な人種隔離によるものであることを知る。
「ンなことやってっから彼女の仕事が遅れるんだ!」とばかりにハリソンは研究所内での人種隔離を是正する。しかしここにあるのは、「人種差別をなくせ」とか「女性にも平等の権利を」というお題目ではなく、「才能がある人間の仕事を邪魔したらプロジェクトが立ち行かない」という実に当たり前の効率性優先の行動ではないのか。
差別は効率が悪い。物事を滞らせる。時間と金が無駄になる。隔離していたらインフラが倍必要だ。理念や理想がどうこう以前に「差別って無駄だらけだしそれをほっとくのはバカしかいないからやめてしまおう」というのは実に合理的で判りやすい。そしてこれをサクッとやってしまった本部長ハリソンがいたからこそ、キャサリンの天才はNASAにおいて十二分に発揮されたのではないか。
キャサリンは、ドロシーやメアリーのような能動的なキャラクターとして登場しない。だが、キャサリンには、ハリソンという、その才能の最大の理解者があった。ドロシーとメアリーは、自らの「夢」の為に戦った女性たちだ。しかし、その「夢」を、掬い上げることのできる存在が無ければ、それは不可能だったかもしれない。そしてキャサリンの「夢」を掬い上げたのが、本部長ハリソンだったのだ。
「夢」 を持つこと。その為に努力し、時には戦うこと。その「夢」を理解し、手を差し伸べる者がいること。そしてそんな、誰かの『夢』のために手を差し伸べる者になること。映画『ドリーム』は、『夢=ドリーム』を叶えるための、あらゆる行動が描かれている。だからこそこの映画は素晴らしい。なぜなら、未来は、『夢』のあるほうがいいからに決まっているじゃないか。
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