日本を代表する劇作家・長谷川伸作品の小林まことによる漫画化は『関の弥太ッぺ』を読んでいたきりだったのだが、その後もこのシリーズが刊行されていたことをワッシュさんのブログで知ることになり、早速買い洩らしていた全巻を購入、読破した。「日本を代表する劇作家」とは書いたけれど、長谷川伸のことを知るわけではない。オレが好きな漫画家、小林まことが漫画化した作品だから、というのがあったからだが、これが読んでみると心憎いばかりに"物語"の王道を行く作品ばかりだった。
■【劇画・長谷川伸シリーズ】一本刀土俵入 / 小林まこと
破門された力士・茂兵衛が、江戸でもう一度弟子入りしようと旅をしていたが、食うや食わずで進退窮まっていた。しかし茂兵衛は旅籠屋の酌婦・お蔦の情けでなんとか飯にありつくことができ、この恩は一生忘れない、立派な力士になると感謝する。そして10年後、
博徒となった茂兵衛はお蔦の元を訪ねるが、彼女の旦那がいかさま博打でヤクザに追われており…という物語。この『一本刀土俵入り』、舞台や映像化作品は観たことはないけれど、そういえば食うや食わずの力士に、旅籠屋の2階から娼婦の女が声を掛ける、というシチュエーションはTVで観たことがある。多分コメディや喜劇舞台に取り入れられていたのを観たのだろう。このシーンはきっと当時、誰もが知る名シーンで、それをお笑いに取り入れものだったのだろう。つまりそれだけ
長谷川伸は、日本人の心にフィットする作品を生み出していたのだろうことがうかがわれる。しかしこの場面だけは知っているが、その後どうなったのかは知らなかった。そして読んだこの作品。
小林まことがどれだけ脚色しているのかは分からないが、主人公である元力士の、痛快な格闘場面に
小林まこと漫画の片鱗がうかがえてまず嬉しい!たった一度の恩義の為に命を惜しまずヤクザと戦う茂兵衛が凛々しい。しかしその背中には、力士になれずに
博徒に身を落とした茂兵衛の悲哀が漂う。この「果たせなかった約束」が、茂兵衛をあれほどまでに戦いに駆り出せたのかもしれない。その「果たせなかった約束」が鮮やかに実を結ぶ、あのクライマックスの怒涛の泣かせっぷりに、この物語の底知れぬ魅力が溢れている。いやあ、卑怯なぐらい見事な物語だったよ…。
渡世人の時次郎は一宿一飯の義理からやむなくある男を斬るが、その妻子を哀れに思い、やくざから助け出して共に旅に出る。旅籠に落ち着き任侠から足を洗ったはずの時次郎だったが、助けた女は身籠っており、食わせる金欲しさに再びやくざの出入りに手を貸すこととなる。「男を斬る」のは義理であり、「その妻子を助ける」のは人情であり、その「義理と人情の板挟み」を描いた物語である。「義理と人情」なんて今更古臭いかもしれない。それに生き死にを賭けるのはナンセンスなのかもしれない。しかし、「武士は食わねど高楊枝」、なんて言葉があったが、この、男の見栄とやせ我慢、それにより成り立つ「男」というものの沽券、さらに言えば男であることのレゾンデトール、これこそが実は義理と人情なのだということもできる。そしてそれは、いうなれば日本式のハードボイルドの在り方であり、タフであると同時に優しさに満ち、なおかつ不条理な死を厭わない
ニヒリズムを湛えた沓掛時次郎の物語はすなわち、和風ハードボイルド作品そのものだったのである。
番場の忠太郎は5歳の時に母親と生き別れになった。実は忠太郎の母はろくでなしの夫に
遊郭へ売り飛ばされていたのだ。それから20年、忠太郎はやくざ者になりつつも、
瞼の母恋しさに旅から旅への渡り鳥を続けていた。そして風の便りに母が江戸にいるらしいと知った忠太郎は、僅かな噂を辿って母の所在をつきとめる。ようやく出会うことになった母おはまは、女手ひとつで料亭を切り盛りする女将となっていた。だがおはまは忠太郎が自らの息子であることを認めようとはせず…という物語。「母を求めて三千里」なんて物語もあったが、この『
瞼の母』では、大きな期待を抱きながら、せっかく出会えた母親が、その息子を息子と認めようとしない、という予想を裏切る展開にまず驚かされる。艱難辛苦の未母と子がやっと出会えました、メデタシメデタシ、というふうにはならないのである。この辺の焦らせっぷりがなにしろ堪らない。なんでだよ、なんでなんだよおはまさ〜〜ん!となってしまうのである。しかしその、なぜ認めようとしなかったのか、というその理由がまた切ないもので、ああ、分かんねえでもねえんだよなあ…と思わせるのである。この、観る者の心に大きく揺さぶりをかける物語展開が非常に巧みなのだ。けれどもその後にはまた話が展開し出し…となるのだが、あのラストは
小林まことのオリジナルなのだろうか。だとしても、やるせない話が多かった【劇画・
長谷川伸シリーズ】の中で、このシリーズの終幕に相応しい、実に胸のすく素晴らしい幕引きだったと思う。
■【劇画・長谷川伸シリーズ】関の弥太ッぺ / 小林まこと
ついでに以前読んだこの作品も挙げておこう。感想は
この辺で書いたが、この時は「非常に定番的な人情モノで(なにしろ原作書かれたのは昭和4年だし)、しかしそのてらいの無い直球ど真ん中なオーソドックスさが逆に新鮮な作品となって仕上がっていた」と書いている。
長谷川伸の名はこれまで知らなかったけれども、小林まことのお蔭でその「近代日本市民の心情の源泉」を垣間見ることができた。これらをして「日本人の心に刻み込まれたDNA」などと言うつもりはさらさら無いが、少なくともかつて、大衆がなにを拠り所とし、そしてまた大衆芸能がどうそれに寄り添う形で開花したのかを伺うことができる。浪花節的な「義理と人情」が崇高かどうかは別として、それを古臭いと思っていた自分ですらこれらの「義理と人情」の物語に感銘することができた。それは長年日本で生きてきての刷り込みなのだろうとは思うけれども、かといって完全に否定し難いものがある。これもきっと日本人であることのしがらみということなのかもしれない。