どーも。この間、益体も無いブログをダラダラ続けてたらなんと10年になっちゃったよ!びっくりしたなあもう!と鬼瓦権蔵状態(知ってる人いるのか?)になっていたフモでございます。「石の上にも三年」なんてェことわざがありますが、これが10年だと「十年選手」だの「十年一日」だの、「10年やってもなんにも変わんねーヤツだなこの老害!」という意味の、あんまりいい風に取られない年数になってしまうんですな。全く寂しい限りでございます。
さて本日は、この弱小ブログの10周年記念といたしまして、『しょーもないブログを10年書き続けたオレが明かす、誰にも何の役にも立たない9つのブログ作法!』をお送りしたいと思います。この10年、ブログ主であるオレはどんなやり方で、どんなことを考えながらブログを書き続けてきたのか?というお話なんですが、10年続けてもこの程度のブログですから、これを読んだからといってたちまち人気ブログになってPV・ブクマが急上昇!出版依頼、講演依頼、アフィもガッポガッポで高級車高級マンション即購入!おまけにデブでブサメンの俺が美人の彼女をゲットしましたがなにか?とかいう具合には間違ってもなりませんのでご注意されて下さい。あくまで「誰にも何の役にも立たない」ブログ作法ですからね!
あと、どこぞのブログサービスで流行ってるみたいに「9つの作法」なんてタイトルでぶち上げちゃいましたが、最初「10の」で書きたかったんだけど9つしか思いつかんかった…。このなにげに中途半端な数がオレらしいですね…。しかもこれですら無理やりひねり出した、というか捏造しただけなので、「これとこれ被ってなくね?」「これって作法って言わなくね?」「それぞれで矛盾したこと言ってんだけど?」等、指摘・苦情がありましても対応しかねますのでそっとしておいてあげてください。だから!やっつけ仕事なんだよッ!というわけでいってみよう!
1.そもそもブログなんか書く必要は無い
まず、なんでブログなんか書かなきゃならないのか?ってことですよね。当然ですが書いてみたかったら書くんでしょう。世や人に表したいことがあってとか、友達を見つけたいとか、アフィでお金儲けたいとか、全宇宙を破壊に導こうとする異次元の邪神がブログを書けと毒電波を送ってくるからだとか。オレの場合は最初、ネットで見つけたバカ記事変な記事を会社の仲間と共有したくて、「じゃあブログの形でネットに上げとくから見てね」ってやってたのが始まりなんですよ。それと、ブログってナニ?と思ってたまたま見ていたはてなダイアリーを弄ってたら登録されちゃったので、んじゃあこのままブログやっちゃおうか?というなし崩しの理由だったですね。そんなですから特にブログで主張したいことも理解してもらいたい事もなかったですね。
ブログ名を「メモリの藻屑、記憶領域のゴミ」としたのは、バカ記事アホ記事載せるブログだから、これは無意味でナンセンスなブログですよ、みんなゴミみたいなもんですよ、という意味でつけたんですよ。その後記事の性格も変わってはきましたが、基本的に自分のブログというのは無意味でナンセンスなものだという気持ちは変わっていません。ブログなんてそんな気負ったり背負ったりして書かなくてもいいじゃないですか。こんなもんなくなったって誰も困りません。もちろん今まで書いた記事が全部消えたら目の前真っ暗になりそうですが、とりあえず誰が書けと言ってるわけでもないものをわざわざ書いてる、別に書かなくてもいいのに書いてる、ブログを書くってことはその程度のものなんだって気概でいいんじゃないですか。
2.ひたすらバカ真面目に書く
ブログをやるならPVを上げたいと誰もが思うでしょうが、それも簡単にはいきません。自分なんてブログの書き始めの頃はPVなんて殆どありませんでしたよ。最初2ケタぐらいから始まって2,3年やってやっと1日300PVぐらいってところでしたでしょうか。それでも年数続けていると徐々にPVは上がって、今は1日だいたい1万PVぐらいですかね。はい嘘です。その10分の1以下です。10年やってこれが多いのか少ないのかは置いといて、アクセス解析で見るとほぼ90%以上検索でヒットして閲覧してくれている方で、自分の日記を常に見に来ている方というわけではありません。
要するに、オレの日記に来る方というのは殆どがたまたま検索でヒットした方です。検索によるPVが多いのは長年ブログを続けてきたので単語数が膨れ上がり、ヒットしやすくなっているからでしょう。あと、これは推測ですが、頻繁に更新している日記の登録単語は検索エンジンに拾われやすくなるんじゃないでしょうか。
つまり、何の才能も無いオレ如きのような者のブログでも、ただただひたすら書いていればいつか人の目に留まる、ということなんですね。留まるだけ、で評価されているというわけではないですけどね。PVの数なんざその程度のものです。ただ、その中で100人に1人位は「割と面白い記事だった」と思ってくれるんじゃないですかね。で、それでいいじゃないですか。
3.セオリーは無視する
ネットには「こうすればアクセス数が上がる」「こうすればブクマが注目が以下同文」みたいな記事が「たった一つの方法」だの「5つのコツ」だの「10の法則」だのという数字つきで流布してますが、読む必要無いと思いますよ。そもそもなんで他人の思いついたルールなりセオリーに則って文章書かないとアカンのや、と思うわけです。まあ、こういう人の話を聞きたがらないへそ曲がりだからオレは何事も上手くいかないって気もするんですが、気付かなかったことにしよう…。
それと、1つの方法でも5つのコツでもなんでもいいですが、そういう聞きかじりの方法に飛びついてガツガツしないで、自分のブログなんだから好きに書けばいいいんじゃね?と思うわけなんです。
自分は悪文なんだろうなあとは思うんですが、あんまり積極的に治そうとも思ってないんですよ。てにをはが繋がらないのはさすがにまずいからこれは注意していますが、「上手い文章」とか「よく伝わる簡潔で整理された文章」とか結構どうでもいいです。そういう文章っていくらモノスゴイ事書いてたって無味無臭過ぎて決算報告書でも読まされているみたいで味気ないしつまらない。
自分の文章に”味気がある”かどうかは別として、なんだかうにょうにょして余計な雑味があったほうが自分っぽくていいんじゃないかと思ってます。これだと誰からも受けいられるものにはなりませんが、別に誰からも受け入れられるものである必要もないじゃないですか。これで十分面白いと思ってくれる人だけ読んでくれればいいんです。
4.書くことが無くても書く
常日頃文章を書く癖の無い人は「書きたい時に暇を見つけて書こう」としますが、習慣がないのだから「書きたい時」も「暇を見つけて」の「暇」も本当は存在しないんです。だから書きたくなくとも暇がなくとも書くんです。とりあえず必ず書くための時間を作るんです。
でもそんな自分でもいざ書こうとすると「…書くの面倒臭えなあ…」と、やっぱり思ってるんですね。「この時間があったらディアブロ3でどんだけ経験値稼げるんだよ…」と思うんですね。それでも書くんです!なぜなら書かねばならないから!なんで書かねばならないのかは分かんないけど!でもやるんだよ!…って言ってること意味分かんないですよね。でも書くことが無くても書くということ自体不条理で意味の分かんないことです。ブログを何年も延々続けるっていうのはそういう不条理で意味の分かんないことをし続けるってことなんじゃないですかね。
5.テーマなんてくだらなくていい
ブログを書く上ではどんなテーマで書くのかが一番最初の問題になるのでしょうが、自分の好きなもののことを書くのが一番簡単なんじゃないでしょうか。でも好きなものなんか何もない場合は、自分の嫌いなものを書けばいいじゃないですかね。妬み嫉み恨み、怒りと憎悪も一部のマニアックな方たちに好まれますが、この場合精神衛生上どうなっても知りませんし訳の分かんない奴が寄ってくるし場合によっては悪い霊に取り憑かれることがあるかもしれないので御利益のあるお守りを携帯するのは必須です。オレに10万円ぐらいくれれば適当なのを作りますからご一報ください。
日常的なことを淡々と書くというのもいいですね。この場合写真に頼ると文章を書かなくていいから楽です。淡々と料理写真を載せる。淡々とペットの写真を載せる。淡々と雲の写真を載せる。でも淡々と近所の幼女の写真を載せたり淡々と自傷写真を載せたり淡々と葬式写真を載せるとかいうのは官憲の介入並びに心療内科の診断を勧められますので避けたほうがいいでしょう。あといつも淡々とUFO写真を載せられるようであればそれはそれでビジネスの糸口になるかもしれないのであなたはラッキーです。
自分は、以前は自分の事ばかり書いていました。タイトルは「オレと○○」、自分と何かの関わりについてですね。「オレとタバスコ」「オレとビール」「オレとピザ」そんなのばっかりでしたね。くだらないですね。でもくだらないことでいいんじゃないですか。「そんなもん誰も読まないし興味なんか示さない」と思われるかもしれませんが、少なくともオレは、主語の大きくて大層なことが書かれているようなブログよりも、あくまで私的なことがポツポツと書かれているブログのほうが好きです。散文的なものが好きなんですよ。そして、主義主張論調論考なんかよりも、人間性それ自体に共感したいしされたいと思う。なんかこう、大上段に構えた事なんかしようとせずに、自分らしいことを大事にして、もっとリラックスした内容でいいんじゃないですか。
6.何を書くか考えずに長文で書く
さていざ時間を作り、テーマまでは決まったとしても、どう書けばいいのか思い浮かばないことがあります。そんな時でもどこにオチ着けるのかも考えずに闇雲に書き始めます。漠然と思ったこと・思っていたことを書き出してそれに尾ひれを付けるんですな。これは「水増し」「粉飾」とも呼びます。なんだか一見関係ありそうでなさそうな、でもやっぱり関係ないことを書いて煙に巻く、という手もあります。
そもそもオレがなんで長文なのかというと「何を書くか決めていないのに書き始めた結果まとまりがなくとりとめもないダラダラした文章になる」、ただこれだけです。書きながら考えて、書きながらまとめているんですよ。だから最後まで書いてやっと「ああ、これってこういう結論になるのか!?」と自分で気付いてびっくりするぐらいです。全くなんじゃそりゃ、って感じですよね。結論が分かったんだからダラダラした分を削って簡潔にしたらいいのかもしれませんが、それだとそれまで書いた文章が勿体ないので、あえて削らないんです。だってせっかく時間かけて書いたんだもん!
7.でも楽しんで書く
なんだか荒行じみたことばかり書いていますが、実はブログ書くのって、これはこれで楽しいんですよ。確かに書き始めるまでは「ああメンドクセエ…」とか言いながら嫌々始めるんですが、書き始めてみると結構のってくるもんなんですね。これは掃除みたいな家事を始める前は面倒に思ってるけど、いざ始めるととことんやってしまうのと似ていますね。人間の脳ってそういうふうに出来てるらしいですよ。自分はなにしろ最初から文章が頭に出来上がった形ではなく、ああでもないこうでもない…と無い頭をひねって書いているのですが、この「ああでもないこうでもない」と考えてるとき、もやもやとした印象でしかないものを、きちんと筋道の立った文章の形にする、という行為をしている時がとても楽しいのですよ。ネタを考えてるときだって、やっぱり楽しいんですよね。
それと年寄りになってきた自分にとって、しょーもなかろうがなんだろうがなにがしかの文章を書き続けるというのは、怠惰な毎日にたまさか頭を働かさせるトレーニングと、合わせてボケ防止になっていいのではないかと、斯様に思うとるわけですね。自分なんて、自分で書いてても時々訳の分かんない文章書いてますから、これを後で読み返してちゃんと添削する、これでなんとかぎりぎり筋道の立てられる頭の働きを保つ、そんな部分で効果があるのではないかと。
8.飽きたら適当に止める
しかしダラダラ考えて書いてそれでも結論が付かない時は、たとえまとまってなくとも適当な所で切り上げます。それっぽいオチをつけたり胡麻化したりしてお茶を濁す、というのが常套手段です。他に文章の途中で唐突に「ん、誰だこんな時間に…ああこれは!うああああああ!」とか書いていきなりぶち切るという手もあります。まあこの辺はほぼ冗談ですが、1つの記事を時間を掛けて納得できるまで書くというのも正しい事なんですが、まあ自分の能力だとこの辺が限界だろ…と見切りをつけることも肝心です。
限界を突き抜けて書けばきっと凄いブログになるのかもしれませんが、毎日それやってると疲れますし疲れると「もういいや…」と燃え尽きます。それに時間が無いことを理由にしておけば「自分はまだ本気出してないだけだ」と自分に対する言い訳にもなります。一石二鳥ですね(どこがだ)!
今回のこの記事も自分で書いてて長くて飽きてきました。飽きてきたからカピバラの写真でも貼ろう。
いやあ、カピバラ可愛いなあ。
9.記事なんてたった一人の人に届けばそれでいい
記事を書く上には沢山の人に読まれたい、いろんな人に読まれたい、と思うかもしれませんが、ネットの向こうにいる人は千差万別です。性別・年齢も違えば、学歴・職業・年収・家族構成も様々ですし、信教・支持政党・贔屓のスポーツチームもあったりなかったりいろいろでしょう。趣味・興味も違うでしょうし性的趣向もSM・フェチ・コスプレ・露出症・幼児プレイと多岐にわたります。国籍が違うこともあるでしょうし、場合によっては人間でもなんでもなくて地底人とかアンドロ星人とか15次元からの使者とかも混じっているかもしれません。それら全ての人に誰でも受け入れられるなんて基本的には不可能です。
もちろん、話題の普遍性や流行性で多くの注目を集めるということはあるでしょう。いわゆる「ウケる記事」の書き方もあるとは思います。でも多くの注目や支持を期待してどの方角にも万遍なく目くばせした文章を書こうとすると、どこかで自分の書きたいこと・書こうとすることの輪郭がぼやけたり八方美人になったり、変に座りのいいだけのお利口な文章になったりすることもあるのです。要するに誰に対して文章を書いているのかってことです。
オレの尊敬する作家、カート・ヴォネガットも《創作講座初級篇》の中で「ただ一人の読者を喜ばせるように書くこと。つまり、窓を開け放って世界を愛したりすれば、あなたの物語は肺炎に罹ってしまう」と書いているではないですか。創作小説とブログの文章は性格が違うものですが、「この人に読んでもらいたいな」と具体的でも仮想でもいいから読者を想定して書いたほうが書きやすいということがあるかと思います。読者を想定したほうが何を説明して何を説明しなくていいか取捨選択しやすいですしね。
ただし、こんなこと書きつつオレの場合、「誰も読んでくれなくてもいいもん!」という限りなくいじけた後ろ向きのことを考えて書いているので、何をかいわんや、って感じですけどね!そんないじけた後ろ向きのオレが(はてなダイアリーでいうところの)スターだのブクマだのを一個だけでも付けられると、「ああ…読んでくれた人が一人だけいた…」ともう感無量ですよ。なんといいますか自分のブログが読まれることの期待をどこまでも低く見積もっているオレの、涙なしでは語れない心温まる逸話ですよね…(どこがだ)。
また冗談が入っちゃいましたが、記事なんてたった一人の人に届けばそれでいい、その為に毎日時間かけて書く、それがオレのブログの書き方であるのは確かです。