全ての悲嘆を乗り越えて〜映画『アメイジング・スパイダーマン2』

アメイジングスパイダーマン2 (監督:マーク・ウェブ 2014年アメリカ映画)


サム・ライミ版から新たにリブートされたスパイダーマン・シリーズ『アメイジングスパイダーマン』の第2弾。ライミ版『スパイダーマン』の主人公が持つナードさや鬱屈に比べると、主人公ピーター・パーカー/スパイダーマンアンドリュー・ガーフィールド、ヒロイン・グウェン・ステイシーにエマ・ストーンを配したリブート版第1作は、ヤング・アダルトをターゲットにしたと思われるフレッシュさに満ち溢れており、「普通に素直に屈託の無い人たちのヒーロー・ストーリー」(レビュー)として面白く観る事ができた。
この2作目でもそれは変わらない。なにより印象深いのはピーター・パーカー/スパイダーマンのヤンチャで茶目っ気に溢れたヒーロー振りであり、始終ペチャクチャとよく喋りながら飄々と危機を乗り越えてゆく様はキュートですらある。『アメイジングスパイダーマン2』の魅力はこの若々しさにあるのだと思う。若さゆえの未熟さ、若さゆえの葛藤を抱えながらも、若さゆえのひたむきさ、若さゆえの明朗さで困難を乗り越えてゆくのだ。この性格付けこそが、他のスーパーヒーロー映画がリアリズムを得んが為に孕んでしまったシリアスな重苦しさと、自由な明るさに満ちた『アメイジングスパイダーマン2』とを分かつ決定的なポイントなのだ。
アメイジングスパイダーマン2』は一途で前向きな物語だ。主人公ピーター・パーカーは明るく快活な青年だけれど、その彼の生い立ちには両親の死という暗い過去がある。しかし彼はその過去だけに拘って生きてはいない。恋人であるグウェンとは、彼女が危機にさらされることを畏れて一度は別れを決意するけれど、「でもやっぱり、君のことが大好きなんだ」と彼女のところに戻ってくる。自らの心に真っ直ぐであろうとする、そこに不安や悲嘆があっても、前を向いて生きようとする、それが主人公ピーターの生き方であり『アメイジングスパイダーマン2』の物語の根幹なのだ。
そのピーターの生き方と対比を成すものとして登場するのがヴィランたちだ。電気技師のマックス(ジェイミー・フォックス)は野暮ったく地味な青年だが、心優しい素直さを持っていた。だが、嫉妬といびつな自己顕示欲から、彼はエレクトロという怪物となってしまう。ピーターの旧友であるハリー(デイン・デハーン)は、知性と何不自由ない生活を持ちながらも、死への恐怖が、彼をグリーン・ゴブリンへと変えてしまう。ある種の悲嘆や不安を抱える者として、ピーターと彼らは実は同等なのだ。しかし彼らは自らの抱える悲嘆と不安に飲み込まれてしまったがために、怪物と化す。ピーターが乗り越えようとし、乗り越えていった事柄を、彼らは乗り越えることができず、後ろ向きで暗い情念に絡め取られ、そして悲劇を生み出してゆくのだ。
そして彼らヴィランスパイダーマンとの戦いは、真摯な生を全うしようとする者と、その障壁との戦いでもあるのだ。スパイダーマンが倒すべきもの、倒そうとしたもの、それはエレクトロでありグリーンゴブリンであると同時に、彼らの孕む負の情念だったのだ。そのメッセージ性はあの衝撃的なクライマックスにおいて顕著となる。あまりに重く悲嘆に満ちた事件の後にピーター・パーカー/スパイダーマンはどう生きようとしたか。そこにこそこの映画の全ての主題が込められていたと思う。
「前向きに生きる」ということは単なるお題目でもお気楽なライフハッキングでもない。それはある意味死に物狂いになってでも獲得しなければならない、生きる命題なのだ。『アメイジングスパイダーマン2』は、そんな、死に物狂いで前向きに生きようとする、一人の青年の物語だったのだ。