『ゾンビヘッズ 死にぞこないの青い春』はちょっといただけないゾンビ映画だった

■ゾンビヘッズ 死にぞこないの青い春 (監督:ブレッド・ビアス/ドルー・T・ビアス 2011年アメリカ映画)


3年間も眠っていた挙句、なんとゾンビになっていた!せめて大好きだったあの娘に会いたい!というわけでゾンビ野郎どもが珍道中を繰り広げるというこの映画、なんだか設定が中途半端でオレは観ている間中納得出来なくて楽しめませんでした。まず主人公とその相棒、ゾンビとはいえ普通に人間の時の意識があり、人間の肉を食うのも我慢することが出来る。映画ではゾンビの発生が化学薬品による汚染ということになっていて、いわゆる普通のゾンビも発生し、人間を襲ったりしているんですが、主人公たちだけがなんで意識があり人間襲わなくていい「半ゾンビ」なのかずっと説明されない。やっと途中で、汚染した化学薬品の種類によってゾンビと半ゾンビに種類が違ってくる、ということは明かされるんだけど、それが随分さらっと流される。でもそこあんまり流すべきところじゃないと思うんだよな。死んでいて、でも意識があって、人を襲わない、それを半ゾンビということにします、ということにされても、ちょっと待て、肉体は死んでいるけど意識があるってことだよね?でも死んでいる肉体は、腐ってたり腐りかけたりしているけど、一応自由に動くわけだから、つまり活動できたりしているわけだから、それで精神があり意識があるっていうのは、それは実は形は違うにしろ生きてるってことにならない?なんて思うのだよね。そもそもさ、「死」ってなんだろう、ということなんだよ。例えば全身麻痺しているけど意識がしっかりあれば、それは生きている、ととれるけど、肉体は生きている、しかし生命維持装置で持たせている、だけど脳は死んでいる、という時に、これは生きているといえるのか、これなんかは脳死と断定された段階で生命維持装置を外されてしまう、即ち生きていると判断されない、ということではあるんだよね。で、ゾンビというのは何かというと、肉体も脳も死んでいる、しかし何故か動き回って人の肉を食らう、医学的には不可解だけど、不可解な存在だからこそ恐ろしい、要するに、それは超自然的なもの、人智を超えたバケモノ、ということなんではないですか。でも半ゾンビの連中は、見た目的に単なる「気の毒な皮膚病の人」以上の存在に見えず、「自分は既に死んでいる存在」という悲壮感が皆無なんだ。つまり死んでもいない・生きてもいない・ゾンビでもない・そのココロは半ゾンビどぇ〜っす、っちゅうなんか物凄い適当で中途半端でご都合主義な設定なんだよなあ。それでさらにラストは彼女と会えましたメデタシメデタシって、いったいなんなんだよ。生き死にのはっきりしない半ゾンビになってどこがメデタイんだよ。オメデタイのは監督の頭なんじゃないのでしょうかどうでしょうかそこん所どうなのでしょうか、とオレは首を捻るばかりなのであった。グキ。