家族を救うため戦乱の朝鮮半島に乗り込んだ一人の男の物語〜『お父やんとオジさん』

■お父やんとオジさん / 伊集院静

お父やんとオジさん

お父やんとオジさん

少年はひとりで日本に渡り、働き続け、家族を持った。戦乱、終戦。妻の弟・吾郎は家族と祖国のある半島に帰る。5年後、朝鮮戦争が勃発。吾郎は戦乱に巻き込まれる。過酷な潜伏生活を強いられた弟のために、妻は夫に救済を求める。戦火の中、夫・宗次郎は義弟を助けに戦場に突進する。救いを求める弟。生還を祈る妻と家族。戦火を走る主人公たち。家族の絆を命がけで守り抜く父の姿を描いた、伊集院文学の原点。新たな代表作というべき、自伝的長篇小説の決定版。

『お父やんとオジさん』というリリー・フランキーのバッタモン臭いタイトルから敬遠すると損をする小説だ。確かにこれはタイトルから伺えるように一つの家族小説ではあるが、同時に、動乱の朝鮮半島近代史を読むことの出来る作品であり、その中で、朝鮮半島へと命を賭して家族を救出しに赴く一人の男の緊迫の潜入・脱出劇として読むことも出来る小説なのだ。
太平洋戦争における日本の敗戦から始まるこの物語の殆どの登場人物は韓国・朝鮮籍の人間であり、彼らは終戦によって朝鮮に帰る者、日本に残る者の二つの道によって運命を分かたれる。その運命の分かれ道とは米ソによる朝鮮分割とそれによって勃発した朝鮮戦争だ。確かにそういった歴史上の事実は知っていたとはいえ、朝鮮人の立場から描かれるそれは、教科書で読むようなものとはまるで違う悲痛で残酷な現実を垣間見せるのだ。
さらにこの物語では在日朝鮮人たちの日本という国への複雑な心境も描かれる。朝鮮という夢見る故郷、日本という生活の足場。それは同時に、朝鮮に帰国した者を待つ過酷な現実と、差別がありながらも取り合えず安全に暮らせる日本、というアンビバレンツの中で、自らのアイデンティティが常に引き裂かれてゆく、ということでもあるのだ。さらに彼らが故郷として愛して止まない朝鮮もまた、大国の冷徹な思惑の中、北と南に別れて血まみれの争いを強いられ、そこでも再びアイデンティティが引き裂かれてゆくという、二重となった精神的重苦を背負うのである。
そしてそんな状況の中、背後で米中ソが睨みあい膠着状態の続く屍累々たる朝鮮戦争のまさにその只中に、一人の男が半島に渡った自らの親族を救うため、日本から死を覚悟して旅立つのである。しかもこれは作者・伊集院静の父が実際に行ったという実話を小説化したものだというではないか。しかしこの小説はそういった"事実の重み"を抜きにしても秀逸極まりない作品であることは間違いない。そしてこの物語がこれほどまでに胸に迫るのはなにがなんでも生きること、生き残って家族を愛すること、ただひたすらそれを懇願する人々を描いた点である。それは生きることの原点であり最も根源的な理由であるはずだ。正直これほどまでに面白いとは思わなかった。傑作である。

お父やんとオジさん(上) (講談社文庫)

お父やんとオジさん(上) (講談社文庫)