生々流転するものと、変わらぬ永遠と。〜映画『マイマイ新子と千年の魔法』

マイマイ新子と千年の魔法 (監督:片渕須直 2009年日本映画)


この『マイマイ新子と千年の魔法』、劇場公開当時相当話題になったし、よく読むブログでも大絶賛だったんだけど、タイトルやポスターやざっとしたあらすじ見ても、全然そそるところがなくて、とりあえず劇場はパスしてたんですよ。でまあ、この間DVDが出て、そういえば話題作だったから押さえとくか、とかいうよこしまな気持ちで観始めたんですが…ええとスイマセン、オレ舐めてました!圧倒されました!観終わったあと、「とんでもないものを観てしまった」と思わず呟いてしまいました!これは素晴らしい作品です!
なにしろ何も予備知識無く見始めたもんだから、映画が始まってすぐ、その独特の地域性と時代性の濃厚な描写に、DVDを一回止めて「ここがどこで、いつなのか」をネットで調べたぐらいなんです。きちんとそれ知らないで観たら作品に失礼だぞ、と襟を正させるほどに、冒頭から非常に表現力豊かな描写が続くんです。そしてここが昭和30年代の山口県防府市という土地らしいということが分かったんです。いつも不勉強でスイマセン。舞台となるのは田舎です。大自然の光景がとても光豊かで、そこに住む人たちの様子がとてもリアルに描かれているんです。昭和30年代が舞台ですが、昭和37年生まれのオレにもちょっと昔だなあ、と思わせる程度に昔の話です。そして主人公は小学生の女の子で、最初転校生をクラスに迎えるんです。
こういった出だしだし、作中起こることはそれほど特殊でもない「子供たちが体験する一夏のドラマ」でしかないのですが、そのありふれているはずの描写がとてもきめ細かく端正なんです。そして主人公の新子はとても想像力の豊かな子で、千年前にここで栄えた都を幻視したりするんです。いや、この"想像力の豊かな子"っていう設定も実はよくあるものです。そもそも面白いことは面白いけど、"千年前に栄えた都"がオーバーラップする、という設定がなぜ必要なのか最初はちょっと首を傾げたんです。でもよく観ていると、それは自然や、人の結びつきや想いなどの、"いつまでも変わらないもの"を表しているのだ、ということがわかるんです。"いつまでも変わらないもの"、それは"永遠"、ということです。そして人はどんな時に"永遠"を幻視し夢想するのか。それは、人が、"幸福"であるときなのではないのでしょうか。
けれども、この物語では、様々なものが、あっというまに様変わりしてしまいます。最初喧嘩したりよそよそしかったりした子供たちの人間関係は次第に友達の輪へと変わっていきます。その中で生き生きと遊ぶ子供たちの姿は見ていて頬が緩むことでしょう。しかし、楽しいことばかりが続くわけではありません。みんなで育てた金魚の死、憧れの先生の結婚の芳しくない噂、男らしかった父親の女々しいもうひとつの顔。喜びの象徴だったものは悲嘆を生み、幸福の象徴だったものは幻滅を生み、雄々しさの象徴だったものは失望を生みます。もちろんそれらの体験は子供たちにとって辛く厳しいことです。しかし子供たちはいつまでもその気分の中に浸ってはいません。子供というのは、成長するものであり、そして、変化してゆくものだからです。
物事は変化してゆき、ひとところにも留まっていません。しかし変化しながらも、よきものであろうとすること、また一緒に遊ぼうと誓うこと、楽しかった思い出を忘れないでいようという気持ちが変わることはありません。それは、幸福の想いをひとところに繋ぎ止めておきたいという願い、すなわち、"永遠"を夢想することに他ありません。そして、その夢想を、人は"希望"と呼ぶのです。この映画『マイマイ新子と千年の魔法』は、変化と成長と、変わらぬ永遠とを対比させることにより、稀有な構成のドラマとして完成した、傑作アニメだと言っていいでしょう。

マイマイ新子と千年の魔法 予告編


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マイマイ新子 (新潮文庫)

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