『月に囚われた男』はSFの本道を行く佳作SF映画だった

月に囚われた男 (監督:ダンカン・ジョーンズ 2009年イギリス映画)

■そこは月世界

"月を舞台にしたSF"というとそれはもう山ほど存在するだろう。小説ではジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』、H・G・ウェルズの『月世界最初の人間』、ジョン・キャンベルJr.の『月は地獄だ!』、A・C・クラークの『渇きの海』、ロバート・A・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』などがあるし、映像作品としてはこれも古典中の古典であるメリエスの映画『月世界旅行』があるが、個人的にはSFTVドラマ『謎の円盤UFO』のムーン・ベースが記憶に強烈に焼きついている。コミックではこれも個人的には手塚治虫スペースオペラ『ノーマン』やSF短篇集『ザ・クレーター』が特に思い出深い。こんな具合に月は人類にとって最も身近な異世界であり想像力を刺激する舞台として物語の中に取り上げられてきた。

2009年イギリス製作の映画、『月に囚われた男』もその中に新たに加えられるであろう"月を舞台にしたSF"物語だ。近未来、人類は資源採掘のために月面に基地を置いていた。3年の契約でたった一人でこの基地を管理する男サム(サム・ロックウェル)は任期の満了を心待ちにしていた。故郷である地球に愛する妻と子を残してきているからだ。しかし通信塔は故障したままで、家族ともまともに連絡を取り合うことができない。そんなサムの唯一の話し相手は人工知能だけだ。そんなある日、サムはおかしな幻覚に悩まされはじめ、遂に月面車で事故を起こすが…というのがこの物語の発端である。

デヴィッド・ボウイの『地球に落ちてきた男』

最初の映画イメージはなにしろ『2001年宇宙の旅』だろう。静寂に包まれた宇宙空間、白く冷たい月面基地、宇宙での孤独な生活、そして人工知能との会話。ただしこの人工知能は叛乱を起こしたりすることなく主人公のよき理解者として活躍する。基地での家庭菜園は『サイレント・ランニング』か。主人公の生活感溢れる様子は『エイリアン』の宇宙船クルーのようだ。そしてこの後に起こる事件は『ブレードランナー』における”自己とは何か?記憶とは何か?”というひどく哲学的な問いを観るものに投げかける。こうして有名作を並べてみただけでも映画『月に囚われた男』は優れたSF映画を教師にした優等生のような作品に思えてくる。さらにそれが製作費500万ドル、撮影期間33日という、SFインディー映画『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』のような低予算映画として完成している所がまた小気味いい。

しかしオレはこの映画をデヴィッド・ボウイの『地球に落ちてきた男』の月バージョンだったのではないかと勝手に解釈することにしたのだ。そう、なんとこのダンカン・ジョーンズ監督、神ロック・アーティスト、デヴィッド・ボウイの実の息子なのである。「恥ずかしくて父の映画は観たことがない」と言っている監督ジョーンズだが、多分『ラビリンス』の自来也みたいな頭したボウイ父さんがあまりにも恥ずかしい格好なので見られない、と言っているだけなのだろう。やはりこの映画を観ると、かつてボウイが「スペース・オディティ」を歌ったSFマインドが息子にもしっかり根づいていると思えるからだ…なーんて、もちろんこじつけでしか無いのだけれど、かつてのボウイ・ファンのオレとしては、その息子の成長を色眼鏡なしで見ることなんか出来ない相談じゃないか。

そう、デヴィッド・ボウイの『地球に落ちてきた男』という映画は、資源を得るため地球にやってきた異星人が、自らのアイデンティティを剥奪され、家族のいる故郷の星に帰ることもできなくなってしまうという、圧倒的な孤独と悲哀を描いた映画だったではないか。こうしたアウトラインやテーマを抜き出してみると、やはり『月に囚われた男』と『地球に落ちてきた男』は奇妙な相似形を描いていることに気付かされるのだ。ジョーンズ監督が実際『地球に落ちてきた男』を観たかどうかは別として、作品テーマの根幹となるものが似かよう、という部分にやはりどうしても”同じ血”を感じるのだ…ってやっぱりこじつけだろうか?

■オーソドクスかつコアなSF映画

作品的には70年代SF映画を思わせる非常にオーソドクスかつ古典的な作りであり、派手な演出も無くある意味正攻法過ぎるように感じる部分もあるが、低予算ながら愛情がひしひしと感じられる特撮からは、ひとりのSFファンとしてとても和むものを感じた。そして映画で描かれるテーマは純SF的なものであり、よくあるSF映画が現実でもありうる事件やシチュエーションをSF的状況に移し変えただけ、というものとは一線を画している。それにしてもこれが新進気鋭監督の撮った処女作であると考えると、これからの成長がとても期待できるではないか。『第9地区』の監督ニール・ブロムカンプと合わせ、将来の楽しみな若い監督がまた一人増えたかと思うと、こうしてどんどん世の中は世代交代してゆくのだなあ、と妙な感慨を抱いた。

蛇足だが劇中で地球にコンテナを打ち上げていた装置は「マスドライバー」と呼ばれる一種のカタパルト装置だ。人間を乗せて射出させるのはどうかと思うし、それを地球でどう受け取るのかは描かれていないが、多分強化繊維の網で作られたマスキャッチャーを使って大気圏外でコンテナを捕捉し、それを宇宙コロニーで備蓄するか軌道エレベーターで地上に下ろすなどがされるのだろう。

マスドライバー(Mass driver)とは、惑星の衛星軌道上や衛星の周回軌道上に物資輸送を大量輸送に向くよう効率良く行うための装置/設備/施設で、地上から第一宇宙速度にまで加速したコンテナなどを「放り上げる」物である。この装置は実用化に向けて様々な研究もなされており、宇宙を舞台としたSF作品にしばしば登場する(大規模なカタパルトとも言える)。
Wikipedia:マスドライバー

月に囚われた男 予告編


スペース・オディティ

スペース・オディティ