オレ式アミューズメント人生 (後編)

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しかしそんな幸福も長くは続かなかった。オレの恩師である尾暮又市氏は実は長年に渡る覚せい剤ヒロポンの常習者だった。ヒロポン中毒が末期まで進行した尾暮氏は遂には幻覚を見るようになり、運命のその日「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」「私はやってない潔白だあぁ〜」などと喚きながらサーカス小屋の動物達の檻を全て開け放ってしまったのである。そしてサーカス小屋は阿鼻叫喚の地獄と化した。ライオンやヒョウにはらわたを貪り食われるもの、象に踏み潰されるもの、ニシキヘビに飲み込まれるもの、ダチョウに目玉を穿り返されるもの、ありとあらゆるおぞましい死がサーカス会場を襲った。オレは我が秘術である「爆裂手袋鼻息割り」や「テニスラケット軟体くぐり」で辛うじて凶暴化した動物達の死の爪魔の牙をしのいだが、次第に形勢は悪化、やつらの凶手は目前まで迫っていた。そして吠え猛るマウンテンゴリラがオレをフライングボディシザースドロップでフォールしようと跳躍した時、オレは死を覚悟して目を閉じた。

だが予想していた衝撃が無く恐る恐る目を開いたオレが見たものは血の泡を吹いて倒れるマウンテンゴリラだった。そしてその傍らには1頭の巨大ヒグマが。巨大ヒグマはにっこりと笑うときびすを返し殺戮の血の味に咆哮する狂った野獣たちへと躍り懸かり、きゃつらをあっという間に血の海へと沈めたのである。戦いが終わりオレの元へ戻った巨大ヒグマはオレの目を見てこういった。「フモさん。多分ボクのことが誰だか分からないでしょう。実はボクは以前北海道大雪山の山の中でトラバサミの罠にかかり、マタギに熊鍋にされそうになっていたところをフモさんに助けられた小熊なんです。今日はあの時のご恩返しをしたくて馳せ参じました」「おおそうだったのか。ありがとう熊くん!」本来喋るはずもないけだものに説明的な台詞を喋らせた挙句あまりにも都合よく北海道からやってこさせ、すべての事態を収めてしまうとはさすがオレらしい実にいい加減なお話だな、と鼻白みながらオレは熊くんに感謝した。

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熊くんは北海道に帰った。オレがお土産に持たせた「銘菓東京ばな奈」を片手に。そしてオレは惨たらしい死体があちこちに転がるサーカス小屋に一人残され悲しみに暮れていた。オレの仲間であったサーカス一座の皆さんは一人残らず動物達に惨殺されていた。空中ブランコのユキちゃんも。玉乗りヘーキチも。怪力男のブルーノも。小人のミノル君も。尾暮氏も死んでいた。ただ尾暮氏は動物に殺されたのではなくヒロポンですっかり頭を狂わせ「わたしを月まで連れてって!」と叫ぶと人間大砲用の大砲に乗り込み空高く自分を発射してしまったのである。遺体はサーカス小屋の向こうにある銭湯の煙突に引っ掛かっていた。それを下ろすのに消防署の梯子車が必要だった。こうして仲間も仕事も失い、オレは天涯孤独のまま見知らぬ人たちばかりのこの世の中に放り出された。

そんな失意のどん底で出会ったのがこの【はてなダイアリー】だった。オレは書いた。日記を書いた。思いのたけを。心の叫びを。栄光と失墜の我が人生を。喜びと悲しみの幾年月を。日々書き続けるうちにアンテナは増え続けページビューは急上昇、今や1日10万ヒットのアルファブロガーへと成り上がり、日記の書籍化映画化は言うに及ばず、《メモリのもずく》《記憶領域のゴミ箱》《フモさんのピザ風味カレー》などのキャラクター商品もバカ売れ、印税著作権料で収入はうなぎのぼり、一躍Web界の寵児となり、かねてから噂だった歌手のK村Kエラ嬢との結婚も間近に迫っているのであった。オレは復活した。自分の人生を取り戻したのだ。まさに禍福は糾われる縄の如しである。

このようにして今や順風満帆向う所敵無し、猪突猛進破竹の勢い、満干全席ロイヤルストレートフラッシュ、テンホーダイサンゲンスーアンコウツーイーソー*1、タイムサービス花びら大回転で我が世の春を謳歌するオレであるが、こんな今のオレがあるのはひとえにコグレ大サーカスで過ごした豊潤たる日々があったればこそである。それはオレのアミューズメントな人生、アミューズメントな日々。オレが自らを”アミューズメント系”と呼ぶのはまさにその事からだったのである。君よ恐れるな。文系でも理系でもない、もうひとつの人生の選択肢がそこにある。さあ君も、アミューズメントに生きてみないか。