オルタード・カーボン / リチャード・モーガン

オルタード・カーボン

オルタード・カーボン

ハードボイルド小説というのが割と好きで読んでいた時期がある。といっても数はそれほどでもなくて、レイモンド・チャンドラーロス・マクドナルドは殆ど読んだが、あと名前も覚えていない新人作家の作品をちらほら。ハメットやスピレーンは馴染まなくて読まなかったな。結局そのどこか詩的な文体が好きだったのだと思う。オレがこの日記でくどいぐらい比喩を使うのはあの辺の影響だ。ハメットは馴染まなかったと書いたが、それは多分暴力的なノワールの匂いがしょぼいガキだったオレには付いて行けなかったのだと思う。
ノワール。いまひとつ定義のはっきりしない言葉らしいが、オレ流に解釈するなら「暴力と死と破滅に満ちたダークなクライム・ストーリー」ということになる。オレ的な趣味としては、例えばタランティーノの映画はノワールかどうかは別としても、圧倒的にノワールの影響下にあると思う。最近ではフランク・ミラーのコミックと、それを原作にしたミッキー・ローク主演の「シン・シティ」あたりか。(いやあ、フランク・ミラーいいっすね!今ハマリまくってます)
この「オルタード・カーボン」には「フューチャー・ノワール」という惹句が附けられているが、つまりはSF+ノワールということなんだね。27世紀の未来を舞台に、《エンヴォイ》と呼ばれる星間傭兵だった男が、そのワイアードしまくったゴリラみたいな体で、《メト》と呼ばれる不老不死の有力者が巻き込まれた事件を解決する為に召還されるんだ。この時代、人間の心はデジタル化され、《スタック》という小さなメモリを体に埋め込んで、肉体が何度滅んでもその《スタック》から再生可能なのだが、莫大なコストが掛かる為に真の不老不死は富を持つ者だけに可能なんだ。物語は、この《スタック》により《スリーブ》=肉体を何度も乗り換えすることが可能な未来であることをポイントとして語れていく訳だね。フィリップ・K・ディック賞受賞。
普通SFで不老不死とか精神のデータ化、クローン再生なんてのを扱う時は、そういうテクノロジーを用いる事によって人間の本質、生命や精神というものの定義はどのように変質してゆくのか、それがどのような異様な未来像を生み出すのか、ということを主題にする事が多いと思うのだけれど、この物語ではそういう難しい事ははぶいて、潔く「単なる物語のルール」にしちゃってるんだね。だからSF的な深みは無いのかもしれないけれど、その代わり描かれるのは殺戮マシーンと化した主人公が邪魔な連中を鬼神の如くぶち殺してゆく、その過激な暴力と破壊と死なんだ。何より、不老不死ではあっても、データを収められた《スタック》を破壊することにより《R.D》=リアル・デス、真の死を相手に与える事が出来るんだ。そして死なない事によりヴァーチャル空間で何度も死の苦痛を与える徹底的な精神拷問が描かれたりもする。そう、この物語の主題はまさに「暴力と破滅と死」のノワールの世界なんだよ。物語の読みどころはそこにあり、その圧倒的な暴力描写に酔い痴れることができるなら、この小説は気に入って貰えると思う。
つまりはジェイムズ・エルロイの書いたSF小説、スターリングの書いた「大いなる眠り」、もしくはタランティーノが監督したSF版「ダイ・ハード」って感じだろうか。オレは好きだな。続編も書かれているらしいので早く読みたいね。この原作自体もジョエル・シルバーが映画化権を握っているらしい。
そしてただ破壊だけではなくハードボイルドチックな感傷や皮肉や決して成就しない恋なんかも描かれる。破砕銃とハイテク手榴弾を収めた男の懐には、実は枯れ切った井戸のようなセンチメンタリズムが、座礁した小船のように打ち捨てられているのだよ…。