ディーン・クーンツの『これほど昏い場所に』を読んだ

■これほど昏い場所に/ディーン・クーンツ

これほど昏い場所に (ハーパーBOOKS)

“早く、早く死ななきゃならない”。海兵隊員の夫が、ナイフで自らの首を掻き切る前に書き遺した言葉。それは、FBI捜査官ジェーンの悪夢の始まりだった。調べを進めるうち明らかになる、全米の自殺率の異常な増加。夫同様、才気に溢れ幸せに見えた人々はなぜ発作的に死を選んだのか?やがてある研究所と会員制秘密クラブの存在が浮上し、ジェーンは想像を超えた戦慄の真実を知ることになる―。

かつてはモダンホラーの旗手としてスティーヴン・キングとも並び評されていたベストセラー作家、ディーン・クーンツだが、実のところ殆ど読んでいない。オレはS・キング好きなのだが、モダンホラーに関してはキングさえ追いかけておけばいいかあ、と思っていたのと、何冊か読んだクーンツ小説が、面白かったことは面白かったがキングと比べると物足りなさを感じたからだったような気がする。

そんなクーンツの新作を久々に手に取ったのは、『これほど昏い場所に』というタイトルと本の表紙が、なんとなくその時の気持ちにマッチしたからなだけである。あとまあ、翻訳ミステリ界隈で意外と評判が良かった、というのも理由だった。

物語の主人公は女性FBI捜査官のジェーン。彼女は個人的な理由により、自らの職務も投げ打ち、”なにか”の真相を追っている。そしてその調査により、その”なにか”からも追われている。彼女の個人的な理由、それは「愛する夫の理由なき自殺」であった。捜査の過程で彼女が知ったのは、全米をじわじわと覆う「謎の自殺の増加」。何かが、誰かが、なんらかの理由で、それに加担している。そして真実を追う彼女に迫る得体の知れない勢力は、あまりにも強大で、どこにでも潜んでいる。ジェーンの孤独で危険な旅は、行き着く先さえ見えない。

最初に感想を書いてしまうと、とても面白く、とても魅了された。さらに書くなら、とても感銘を受けた。「クーンツってこんな物語を書く作家だったのか!」と再発見したような気持ちだった。

読み始めてすぐ物語に魅了された理由は、延々と物語を覆い尽くす、冷え冷えとした孤独感と得体の知れない不安感の存在からだった。最初主人公ジェーンが具体的に何を見つけたいのか、いったい何に追われているのか、なぜたった一人、誰も信じる者のいない状況で調査を進めているのか、情報が何もないまま物語が進んでゆく。こうして読者は何もわからないまま、ジェーンの不安と、名状しがたい恐怖と、誰一人頼ることもできない孤独を追体験させられることになるのだ。そしてその薄氷を踏むような心細い状況の中で、彼女は、この物語は、いったいどこへ向かおうとしているのだろう、と固唾を飲んで見守ることになるのである。

さらに効果を上げているのはFBI捜査官でもあるジェーンの、どこに潜むとも分からない正体不明の敵に対する、強迫神経症的なまでの警戒心と、それが生み出す緊張感だ。”敵”は、街中の監視カメラやパソコンのインターネット、さらに携帯電話の通話やGPS電波を利用し、たちどころにジェーンを特定し瞬時に追撃することのできる相手なのだ。ジェーンはFBI捜査官の知識とスキルをフル稼働しその監視網を潜り抜けながら調査を続けるが、ちょっとしたミスがすかさず”敵”に発見されることになり、この綱渡りのロープの上で逃亡劇を演じてるかのような緊張感が堪らないのだ。

この孤独と不安と緊張が、物語全体を夜の闇のようにどこまでも暗く冷たく覆い尽くす。そして気づかされるのだ、これら漠然とした恐怖は、それ即ち現代に生きる社会生活者の心象そのものではないかと。物語を追うにつれ、”敵”の正体は判明し、ジェーンの行動も明確化される。しかしその”敵”は、あまりにも強大であるがゆえに対決することすら無効であるかのような無力感を覚えさすものなのだ。そしてそれはつまり、我々がこの暗澹たる世界で生きねばならないことの、無力感をすら描き出したものだったのではないか。

作者は物語の合間合間に、その時の気候、気象や気温の変化、刻々と移り変わる空模様の下に茫漠と連なる閑散とした街並みや荒涼とした自然を描き出してゆく。それらは主人公の心象と、物語の行方とをそこはかとなく暗示する。こうしたきめ細やかな描写の数々が物語を一層盛り上げ、読むものはすっぽりと作品世界に飲み込まれてゆくことになる。物語で描かれる”敵”の正体は、明示された途端陳腐化してしまうが、そこから逆襲に転じた主人公の、鬼神の如き復讐の追撃が、これまたひたすら昏く冷徹に物語を盛り上げてゆくのだ。ここで描かれるアクションの壮絶さもまたこの物語の醍醐味となっている。

あとがきによるとこの作品は「ジェーン・ホーク・シリーズ」の第1弾ということになっているらしく、本国では既に第4作目が刊行されているのらしい。確かに魅力に溢れた主人公による謎に満ちた敵との戦いは、この1作だけでは終わるような気がしなかった。今作『これほど昏い場所に』は十二分に楽しめた傑作だったので、今後訳出されるであろうシリーズ作が非常に楽しみだ。あー、また気になるシリーズができちゃったな。

これほど昏い場所に (ハーパーBOOKS)

これほど昏い場所に (ハーパーBOOKS)

 
これほど昏い場所に (ハーパーBOOKS)

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